紅雪 ─くれないゆき─ |
ふるい記憶はいつから始まるだろう。 覚えているのは父と母と呼んでいた者たちが笑いかけてくれている頃から。 それが多分一番古い記憶。 「弱いなぁー。あんたら、本当に殺る気あんの?」 けらけらとさも可笑しそうに笑う、一本の魔剣を携えた青年。くせのある短い、日が落ちた後のまだほのかに明るい薄紫色の空のような髪。鋭く吊った赤い瞳。不遜で不敵な笑みを浮かべる口もと。そして相手を蔑み、嘲笑する喋り方。 「もういいや。あんたらつまんないからさっさと殺してやるよ!」 にたりと悪魔のような残酷な笑みを浮かべ、その剣を振り下ろす。 青年の持つ魔剣と呼ばれる剣。精緻な細工がほどこされており、禍禍しく恐ろしいものにもみえ、そして人を引きこむ危険な美しさを持つ輝きをも持っている。 魔剣・ランシュバイクとよばれるその剣はかつての大魔王、ジャネスが作り上げたものだ。 「いいねぇ、その顔!無念と絶望に満ちたその声!キャハ!」 狂人めいた笑い声。青年は眼下にのたうつ兵士達の体をその剣で切り裂いて行く。 悲鳴。悲鳴。悲鳴。 その耳を塞ぎたくなるような状況を、青年はまるで心地よい音楽でも聴くかのように、そして奏でるように、敵対する者達を切り伏せる。 ああ。 自分よりも大柄な兵士さえ、青年はいとも簡単に切り捨てる。胸を裂かれて、血が飛沫となって飛び散る。返り血を浴び、青年はその様をうっそりと笑んだ顔で見つめている。 ああ。 なんて。 たった一人で襲い狂う敵兵を全て切り倒す。その赤い大地に立つのは青年一人。 「・・・・ハハハ」 くつくつと喉から笑いが込み上げる。血のかかった顔をぬぐいもせず、その額に手をあてて、空をあおぎ、狂ったように笑いだす。 「ハハハハハハハハハ!!」 空は、赤い大地と対照に、ぬけるように真っ青だ。雲一つない、まるで吸い込まれそうなほどに。 その空に、青年の笑い声が響きわたる。 青年の名はアレース。 黒い砂が舞い、血の雨が降る呪戒国より来たりし魔剣使い。 白くて細い手。 優しく頭を撫ぜてくれる。 それがとても心地よかった。 優しく、優しく。 忌み子として周りから恐れられても。 それでも。 「アレース様」 アレースは自治領にある城の自室にいた。 また一つ領土を広げて、支配欲を満たしながら、ソファに腰掛けテーブルに足を投げ出していた。 「探索に出ていたチコル様がお戻りになられました」 「へぇ。そぉ。で?」 態度の悪い君主の元にいるわりに礼儀が正しい兵士は、恭しく礼をしたまま言葉を続ける。 「ルネージュ公国軍元君主、リトル・スノー様をおつれしたようです」 「 ────── 」 目が、見開かれる。 夜が明ける頃の、闇から光へとうつりかわる空のグラデーション。その中の、優しい青紫色の空のような瞳を持つ、銀の髪の娘。 「脅えないで。微妙なバランスで成り立つ震える魂よ」 凛とした声。 だが、とても優しい声。 包み込むような、昔無くした何かを思い出させるような、青紫色の瞳。 以前、戦場で相見えた時。 彼女はそういった。 恐ろしくなった。 全てを暴かれそうな、見抜かれたような感覚。 目を伏せていた、思いだしたくない現実をつきつけられたような気がして、半狂乱になって魔剣を娘に振り下ろした。娘は、よけようともしなかった。 ・・・己は、振り下ろしきれなかった。 切っ先は、彼女の白い肩に、一筋、赤い糸をひいただけだった。 それ以上、何もできなかった。 国は落とした。 だが、彼女を処刑する事も、仲間に引き込む事もせず、在野に下るのを見逃した。 それが。今。 「・・・お久しぶりですね」 窓から差し込む日の光をふくみ、柔らかく輝く銀の絹糸のような髪。そして深い想いを秘める青紫色の瞳。アレースはそれを忌々しげに睨み返す。 「・・・どういう心境の変化だい?王女サマ?」 大きな窓のあるその部屋で、二人は対峙する。 アレースは立ちあがり、腰に手をあてて、少し顎を突き出すように前屈みになってにたりと笑う。 「・・・もう一度、貴方とあって話をしたいと思ったのです」 「 ────── はっ」 その台詞に短く声を吐き捨てる。 あくまでスノーはアレースを見据えたまま、微動だにしない。 その瞳が忌々しい。 「俺と話がしたいぃ?何だよソレ」 毒づくように、わざと間延びした声で言うと、彼女は苦笑する。 「・・・相変わらずね。アレース」 全てを見通すような、深い深い青紫色の瞳。声音は酷く穏やかで。 ──────アレース。 ひくり、と表情が引きつる。 静かに、ただ静かに紡がれる己の名。 ────── アレース。 ────── ねぇ。お願い。お願いだから。 記憶の断片。蘇る。 幼い少女のように、無邪気に笑うあの人。 頬に伝う涙。 視界が真っ白に染まり、やがて黒く染まる。 吐き気が込み上げる。 ぐらりと平衡感覚が狂う気がして、少しよたついて後ろにあるソファの背もたれに手をかける。 胸が気持ち悪い。本当に吐き出しそうだ。 そうおもって口元に手をあてる。 「・・・アレース?」 その様に、スノーは怪訝そうに声をかける。真っ青になっている青年を見て、スノーは歩み寄る。 「アレー・・・」 名を呼び、手をかけようとした瞬間、その細い手首を掴み取られる。 「!」 驚いてアレースを見やる。アレースは、うつむいたまま低く唸る。 「 ────── その眼を、しながら」 「え?」 不意の言葉。 「その眼をしながら、・・・俺の名を、呼ぶんじゃねぇ!」 聞き返すと、アレースは顔を上げ、ぎろりとスノーを睨みつけ吠えるように叫ぶ。ぎりりと、力強く掴み上げられる。思わずスノーは痛みに顔をしかめた。 「・・・い・・・た・・・っ!」 本当に加減なしに掴むので、スノーは小さくうめく。そうして、不意にぐいと引き寄せられる。喉元を強引に掴まれて、固定される。 「てめぇ、何者だ」 異界の、魂。全てを見通す力を持つという。 「・・・・・・」 眼前に迫る赤い瞳。 「俺の、何をしっていやがる。その眼で、俺の何を見た!!」 過去の、忌まわしい記憶。思いだしたくない、消してしまいたいソレ。 「・・・・・・・・・・」 脅えても、それでも虚勢を張りつづける壊れかけの魂。 癒しきれぬほどの傷をおっているのに、それに目を背け、気付かぬふりをして。そうしなければ心が壊れてしまうから。青年は道化のような己を形作る。 「異界の魂。全ての、過去と、今と、未来を見通す力をもってるってなぁ。・・・見たんだろ?俺の過去を。見たんだろ?!」 どさ!と、まるで叩きつけるようにスノーをソファへ押し倒す。スプリングがきいているため、それほどの衝撃が無いとはいえ、突然のそれに痛いはずがない。だが、アレースはそのままスノーの首に手をかけたまま、上にのしかかる。 「・・・・っ」 急な豹変。 それは、暴かれたくない事を見せ付けられた気がしたから。 思い出したくない事を封じてしまいたいから。 「あんたがその目で見たように・・・そうさ・・・俺は、俺は!!」 スノーの答えも聞かずにアレースは狂ったように叫ぶ。 「アレース!」 「!!」 先の言葉を継げようとした瞬間、スノーがはっきりとした、ひどく耳朶に響く声で強く青年の名を呼んだ。その声にアレースはびくりと肩を震わせ、はっと目を見開いた。 「・・・落ち付いて。私は、貴方の『敵』じゃないわ」 「・・・・・・・」 そっと、茫然としているアレースの頬に手を添えてやる。 穏やかだが、諭すような、とても力強い声。繊細だが、ひどく安心できる手の平。 「・・・・・・っ」 息を飲む。がっ、と、己の顔を片手で乱暴に掴むようにおおう。目は見開いたまま。 「俺・・・俺は・・・」 「・・・・・・」 スノーは喉を押さえる彼の手の戒めをそっとほどく。抵抗無くアレースの手は離れ、身を起こせば、それを遮らずにアレースはソファに腰をおとす。 全身にいやな汗をかく。じとりとした熱さのような、寒さのようなそれ。胸が締めつけられ、呼吸がうまくできない。追い詰められたような圧迫感が全てを苛む。 「・・・落ち付いて。『ここ』には、貴方を『蔑む人』はいないから」 「・・・・!!」 静かな声に、アレースはびくりと全身を緊張させる。 「・・・・・・」 スノーは、何かに脅える彼の両頬をそっと触れる程度に包み込み、こちらへと促す。逆らわずにアレースは顔を俯ける。ふわりと、スノーとアレースの髪が触れ合う。お互い俯いたまま。額をつきあわせるように。 「脅えないで。『貴方』は、『貴方』なのだから・・・」 「・・・・・・・」 囁くようなその声に、アレースは眉をひそめて、軽く歯を食いしばる。 過去が、蘇ってくる。 あの大陸には、赤い瞳の子供なんて生まれてはこない。 だのに、己はこうして赤い瞳を持って生まれてきた。 真っ青な空のような瞳をした父。黒炭の断片のような、艶やかで深みのある黒い瞳の母。 その両親から、血のような色の赤い瞳の子供。 己は『禍い』の忌み子として、周囲から蔑まれ続けた。 だが、両親はそんな己を慈しみ育ててくれた。 しかし、代々魔剣を操る一族として生き続けてきた自分達。そんな自分達を快く思わない者達もいる。 お前は、その魔剣をつかって全てを支配するつもりだろう。 なぜいきなりそんな事を言う。 お前のあの息子がいい証拠だ。赤い瞳。『禍』を呼ぶ忌み子。あの化け物をつかって我等に禍を呼び、お前らが全てを支配するつもりだろう! 馬鹿げた話。 つい今の今まで共に戦ってきた仲間だ。 それが手の平返して、自分達を殺そうと襲ってきた。 彼等は罪の意識など感じてはいない。 自分達は『悪』で、彼等は『正義』なのだ。 『正義』のためにはいくらでも『悪』を殺していいのだ。 自分達は正しい事をしているのだと。そのために人殺しをしている。その行為自体が既に罪だと、疑いもせず。 たいした力も持たずに、『悪』を根絶やしにしようと威張りちらすヤツもいた。 己は安全なところから出ず、兵士と言う駒をつかって、自分の力では何もせずにまるでゲームのような感覚で。そんなヤツ等が一族を蹂躪する。 幼いはずなのに、自分は冴え冴えとそれらを覚えている。 父は殺された。 母は自分を連れ、魔剣を携えて逃げた。 どこへ行っても蔑みの視線は針のように無数に突き刺さる。 まるで、この世に存在すべきで無い、汚らしいモノを見るかのようなその目。 己というモノを、否定し、生きる事、存在そのものの価値すらないと言わんばかりの。 刃のような、深く傷つける、でもそれによって流れる血も傷も、みえない。 その視線の中で自分は生きた。 長い、長い逃亡。 実際はそんなに長くはなかったのかもしれない。 だけれど酷く長く感じた。 尽きる事のない蔑みの視線。罵声。嘲笑。憎悪。嫌悪。不安。猜疑。恐怖。 毎日毎日さらされて。 毎日毎日脅えて暮らしていた。 まともでいる方の方がおかしいと思えるほどの非情な日々。 ある日。 母がいった。 アレース。 ねぇ。お願い。お願いだから。 死んで? 幼い少女のように、無邪気に笑う母。 殺伐としたその残酷な言葉。 私のために、死んで? もう疲れたの。 貴方さえいなければ、私は自由になれるの。 だから、ねぇ。お願い。 死んで。 壊れた人形のような、無機質な笑顔。 頬を伝う涙。 笑ったまま、彼女は自分の首に手をかける。 細くて白い腕。指。 優しいその手で愛しそうに撫ぜてくれるのが好きだった。 たまらなく心地が良くて。 嬉しかった。 その、手で。 その、白く細い手で。 自分を殺す。 真っ白な視界。 藻掻いて喘いで。遠くの意識で、彼女の冷たい指先を強く覚えている。 手に触れるなにか。 やがて黒く染まる。 そして。 再び瞳をあければ。 赤い雨が降っていた。 手には、不釣合いな大きさの、魔剣。 目の前には、笑ったまま、赤くそまっている母。 糸の切れたマリオネットのように崩れ落ち倒れている。 そして、赤く染まっている自分。 髪も顔も腕も手も足も、大嫌いな赤い瞳と同じように真っ赤に。 ・・・・全身が熱い。 空を見上げる。 ひくりと喉がなる。 口が、笑みの形に醜く刻まれる。 腹の底から、くつくつとわき上がる笑い。 色のない笑い声が己の口から漏れる。 まるで自分が笑っているのではないような感覚。 だが、声を上げて、まるで確かめるように笑う。 咆哮のように、壊れた人形のように。 笑い続けた。 静まり返り、全ての音を吸い込むような砂漠の空間。 無音が酷く耳に響き、痛いほどの世界。 自分はただ。 「あ、ああ、が、あああ、うあああああああああああああああああっ!!!!!!」 うずくまるように、両肩をかかえ、アレースは慟哭に似た叫びを上げる。目を見開き、そうしなければ壊れてしまいそうで、恐怖する。 己を否定する無数の刃の視線。 殺される父。 己を殺そうとする母。 母を殺した自分。 視界に焼き付くのは、赤い、紅い、『雪』。 血飛沫が、雨のようではなく。 まるで。 「アレース」 はっとなる。 俯く自分を包み込む暖かさ。 柔らかい、でもどこか強さを秘めた声。 「アレース」 そっと頭を撫ぜられる。自分の体を抱いて、癒すように優しく。 「・・・あ・・・・」 全身を包む熱さが引いてゆく。 「・・・脅えないで。自分の傷を見る事を・・・怖れないで」 「・・・・・・」 「その傷の痛みに溺れず、しっかりと見定めて。恐ろしいかもしれないけれど・・・逃げていては何もならないから・・・」 どこか古い唄のような声音。 「・・・・・・・」 ぼんやりと、その声を聞いている。不思議と心が落ち着いてくる。 紅い視界が、ゆっくりと、柔らかい色になってゆく。 何故この娘の声はこんなにも心地が良いのだろう。 先程まで、あんなにも恐ろしいと思う視線さえ。 顔を上げれば、やんわりとほころぶ笑顔。 それを見て、胸が締め付けられる想いがした。それは、けして不快なものでない痛み。 青紫色の、深い深い瞳。 「・・・どこにいく?」 落ちついたアレースの側から離れ、スノーがドアに手をかける様を見てアレースはけだるげに体をおこす。 「・・・わかりません」 ふわりと小さく笑う。 「ここに、のこらないのか?」 そう問いかければ、 「・・・私はただ、貴方ともう一度話がしたかっただけです。・・・ごめんなさい」 少し困ったように答えた。 「・・・行くな、っつってもか?」 息せき切ったように、自分でも思いもしない言葉を零す。それにアレースとスノーは同時に驚いた顔をした。アレースは己の言動に、スノーは彼の台詞に。ややあって、スノーは苦笑する。 「・・・有難う。・・・でも、ごめんなさい」 拒絶の返事を受け取って、アレースは一瞬傷ついた表情を作るが、それに自分で気がついて、だん!と壁を拳で叩く。 「か、勘違いするんじゃねぇ!俺は、ただ、ただ・・・」 言葉の先が出てこない。苛立たしげに奥歯を噛みしめる。 己の頬に僅かに朱がさしていることに、彼は気がついているだろうか。 「・・・また、あいましょう」 そんなアレースを見て、スノーは少し愛しく思って笑った。 どこか幼い、不安定な魂。 彼は、己の過去を見据える事ができるだろうか。 そして、飲まれることなく、進んでゆけるだろうか。 側で見定めることはできない。己には別の道があるから。 スノーはそういって、静かにドアの向こうへと姿を消した。 「・・・・・・」 そのドアの向こうを見るように、アレースはじっとみている。それから、自分の頬に触れた。少し、熱い。 優しい、白い細い指。 記憶のそれと重ねる。 自分の頭を撫ぜてくれるそれ。 自分の首を絞めるそれ。 どちらとも当てはまらない。 彼女の手は、恐ろしくはなく、優しいけれど、それだけじゃない。 あんなに華奢なのに、強い。暖かく、慈しみ、時に厳しく、心地よい。 あの手が、欲しい。 ─END─ ←小説トップ |
終わった・・・。 申し訳ございません。何やらだらだらと長く書き過ぎやっちゅーねん。 どうもいまいちアレースが掴みきれなくて・・・。スノーの方も・・・ とりあえず、アレースの過去話・・・。即興だから設定弱すぎ。確かリクエストはアレスノで、アレースが照れているのが見たいというはずだったんですが・・・。 全然違う方向へ・・・。ごめんなさい。アルウェスさん。(平謝) これではアレスノというより母子の関係・・・。 ごめんなさい(TT)マジで(TT)アルウェスさんの考えている二人ときっと180度どころか270度は違うだろうなぁ(遠い目) ちなみに題名の「紅雪」は、本当は「こうせつ」と読み、その意味は「桃の花」もしくは、「血の飛び散る様の形容」です。 |