翠嵐






 それはプリエスタのエルフの集落の中でも大きな部類に入る木だった。
 小高い丘の上で、天にとどけとばかりにその両の手を伸ばすように伸びる枝。生い茂る濃い緑の葉。豊かな大地にしっかりと根付くその木は、今は静かに風に葉を鳴らしていた。大人が3人、両手を広げてやっととどくくらいの太い幹を持ち、方々に分かれる枝もがっしりとしていて、大人が腰掛けても大丈夫なほどだ。

 「………」

 そのかなり高い位置にある枝分れの場所に腰掛ける男が一人。

 生い茂る木の葉に紛れるようにひっそりと、その大きな体をおいている。浅黒い肌。落ち着いた色合いの紫の衣服を着ていてもわかるほど、逞しい体躯だ。肩から背中に流れるのは、少し荒い、白に近い銀髪。尖った耳。その容姿から知れるのは、男は闇エルフだという事だ。

 本来闇エルフは、地上で暮らすウッドエルフと違い、地下に村を作る。ただし、ずっと地下で暮らすわけではなく地上で農作物を育てたりもしている。
 だけれどこの男はここ最近、地上での生活を続けていた。数年前、いがみ合ってきたウッドエルフと和解し、そして現在は快進撃を続ける、人間の軍勢と同盟を結んでいる。その関係で、闇エルフを統括する身のこの男は色々と呼び出されているからだ。
 昔からの習性で、地下の静謐な空気が好きなのだけれど、地上の様々な匂いのする風を感じながら草木の鳴る音を聞くのも悪くないと思っている。たまにこうして、高い木に登り、遠い波の音にも似た風になる葉音と草を海を見ていた。

 ふと。

 気配を感じて視線を下へ落とす。草の波に足元をうずめながら歩いてくる女が一人。
 明るい緑の長い髪を赤い布でまとめ、清らかな白い簡素なドレスを身に纏っている。

 「プロミネント!」

 女は木の根元まで来ると、見上げて声をかけてきた。

 「………」

 だが男は返事をしない。

 「プロミネント!いるんでしょう?」

 緑の葉に姿が隠れていても、全て隠れるわけではない。男の姿を僅かに見止め、女はもう一度声をかけた。

 「………何のようだ」

 返事をしなかったら多分ずっと呼び続けるだろうと思って、プロミネントはため息まじりに返事をした。

 「用がなかったら呼んじゃいけないの?」

 女はくすりと笑って、問いかける。元から柔らかそうな面立ちの女が笑うと、なおさらに優しく見える。
 それでも一族をまとめる女王として、あるいは戦場へ出たとすれば。
 その優しい面立ちは一変して鋭く、威厳を放つものへと変化する。深い緑玉の瞳は何者にも屈せぬ強い光を放ち、一見すれば何処か威圧的にすら見える。その毅然とした姿に気圧される者もいるだろう。
 されど今は、そんな姿はどこにも見えない。
 ただ優しく笑う女がいるだけだ。

 「………女王がこんなところで何をしている」

 「あら、それをいうなら貴方だって」

 「・・・・・・・・・・・。」

 切り替えされてプロミネントは眉をよせた。下では女がくすくす笑っている。

 「お仕事なら終らせてきました。きちんとやっておかないと後でお兄様がうるさいもの。それにたまには息抜きをしないと、疲れてしまうわ」

 「………お前はよく政務の途中で逃げると、リリーの奴があいつから聞いてるそうだぞ、アゼレア」

 今度は少し拗ねてみせた彼女に、プロミネントは半眼でいってやる。すると、言われてバツが悪そうにアゼレアは遠くへ視線をおよがせた。
 元々、女王という立場ではあるが、それは彼女が望んだものではない。だからか、少々自覚に欠けるところもあるのだ。本来は野山で自然と戯れている方をこよなく愛する性格だ。無理もない。
 それでもだからこそか、自然を愛するがゆえに、まもるために戦う。

 「………まぁいい。他に用はないのだろう。息抜きとやらをしたらさっさと戻れ。リリーも探しているだろう」

 「大丈夫です、言ったでしょう?ちゃんと政務は終わらせてきたから、リリーは今お兄様と一緒よ」

 仲睦まじい二人はきっと今ごろ、談笑でもしているだろう。

 「ねぇ、それよりもプロミネント、私もそっちへ行ってもいいかしら?」

 「何?」

 「私、あなたとお話がしたくてきたの。でもここからじゃあ、貴方の姿はよく見えないし、首が疲れるわ」

 アゼレアは高いところにいるプロミネントの姿を求めて見上げている。確かにそのままの態勢でいたら首が痛くなるだろう。だがしかし、プロミネントはその言葉に思わず押し黙る。
 何を言い出すのかと思えば。
 自分と話がしたい?

 「………俺は別に話す事などないぞ」

 「私はあります」

 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」

 低い声で告げると、あっさりと断言してきた。

 「だから、そっちへいってもいいかしら?」

 再び問いかける。
 またおもわず、プロミネントは顔をしかめた。不快な気持ちからくるのではない。困惑からくる物だった。
 なんだって自分と話がしたいのか。
 それが分からない。

 ………そういえば昔からそうだった。
 あまり喋らない自分に、アゼレアは親しげに話しかけてきた。つっぱねてもにこりと笑って話しかけてくる。反発するのにも疲れて黙ってきいてやれば、アゼレアは嬉しそうに話していた。
 ………そうして、別にそれが嫌だというほど嫌ではない自分がいた。

 「………こっちへくるといっても、お前、まさかのぼってくる気か?」

 「ええ、木登りはよく小さい頃やったわ。だから大丈夫よ、多分」

 そう言って、冗談かと思えば本当に木の幹に手をかけているではないか。
 見下ろしてその姿をとらえてプロミネントは思わず慌てた。

 「おい!そんな格好で登る気か?!」

 「………確かにちょっと汚れてしまうかしら?」

 白いドレスの裾を摘んでみせて言う姿にがっくりと肩をおとす。問題はそこじゃないだろうと突っ込みたい気分だ。いや確かにそれもあるが、仮にも立派に成人女性が、ドレス姿のままで木登りをするのか普通。
 盛大にため息をついて、プロミネントは腰掛けていた枝の上に立ち上がる。

 「………わかった、俺がそっちへ行くから、のぼってくるな」

 言うと、とん、と軽く枝を蹴って身軽に飛び降りた。途中の枝に一度着地し、そこから再び飛び降りる。まるでその大柄な体躯からは想像できないほどの軽業師のような身のこなし。
 すとん、と草の乾いた音をたてて、プロミネントは地上へおり立った。こちらを見上げるアゼレアの方に視線を転じると、また、にこり、と笑顔を向けてきた。
 ………なんだか一瞬、物凄く『敵わない』と感じたのは気のせいだろうか。
 などと内心頭をかかえる。

 「ありがとう、これであまり首が痛くならないわ」

 それでもプロミネントは大柄で、アゼレアとはかなりの身長差があるのだが。確かにはるかに高い木上よりは随分と視線が近いのでいい。

 「まったく………お前は何を考えているんだ。そんな格好で木登りなど」

 「ねえ」

 「しようとするな………何だ」

 不意に台詞の途中で声をかけられて、言葉を止める。

 「座って話をしませんか?丁度木陰だし天気は良いし、風は気持ちがいいし。ね?」

 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」

 ふわりと。
 優しく微笑むその顔。
 やはりその笑顔に何故だか敵わない、と感じる自分がいた。





 木の根元に腰を下ろし、背を木の幹にもたれかける。片足はのばし、もう一方の膝を立て、その膝に片腕をのせた。アゼレアはスカートを押さえそのまますとんと足を少し横に折り曲げて座る。
 さわさわと風が通り過ぎて草葉をゆっくりとたなびかせて鳴らしていく。程よく暖かい空気は風の運ぶ草と土の匂い。このまま目を閉じてしまえば、まどろみに落ち、眠ってしまいそうだ。

 「良い天気ね」

 「ああ」

 「気持ちのいい風だわ」

 「ああ」

 「動物や精霊達も気持ちがよさそう」

 「そうだな」

 「・・・・・・・・・・プロミネント」

 「なんだ」

 そこまで言うと、アゼレアは苦笑した。

 「………何だ」

 もう一度問いかける。

 「ううん、ごめんなさい。ただね、変わってないなぁって思って。素っ気無い態度とか、端的な返事とか。昔はそれでずっと嫌われてるんだと思ってました」

 「………」

 伏し目がちに頬笑むその姿はどこか寂しげで。だがそれも一瞬で、ふいと顔を上げると頬に手を当てて思い出すように続ける。

 「昔から貴方は頑固で真っ直ぐで、こう、と思うとあまり人の話をきいてくれないとことかあったわよね」

 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」

 事実なだけに言い返せず、ぐぅ、とプロミネントは苦虫を噛み潰したように顔をしかめた。
 指摘されるその点で、以前酷くアゼレアやその兄のアイスバーグを憎んだものだ。
 だけれど別段、アゼレアはそれを責めるふうでもなくあっけらかんとしていた。

 「おまけに小さな頃も、私が話し掛けても無視するかあっちへ行け。……結構ショックでしたよ?」

 「………そのわりには懲りずに話しかけてきただろう」

 「ふふ、そうでしたね。そうしたら貴方は今みたいに顔をしかめながらも話をきいてくれて」

 「そうしないとずっと後をついてこられると思ったからだ。実際そうだったしな。………お前は俺を頑固だと言うが、そう言うお前も存外そうだろう」

 そうである。こうといったら頑なになるのはアゼレアも同じだった。

 「………そうでしたっけ」

 「そうだ」

 きっぱりといってやる。するとアゼレアはくすくすとこそばゆいように笑みをもらす。

 「でも私は、あなたのそういう所は嫌いではなかったわ。ちょっと素直じゃないとは思ったけど」

 「余計なお世話だ」

 そっぽをむく。銀髪が風に揺れて頬を撫でた。
 その横顔をアゼレアは黙って見上げている。
 しばらくじっと見つめていたので、その視線に気がついて、プロミネントは少し居心地悪そうに身動ぎをし、アゼレアの方を向いた。

 「………何だ」

 「あ、いえ、なんだかこんなふうに貴方とゆっくりと話すのは久しぶりだなぁって思って………」

 「………」

 そのまま言葉を続けず、お互いを見つめる。
 
 「………」

 「………」

 何故だか不意に、気恥かしくなって、ほとんど同時に二人とも顔を相手からそむけた。アゼレアは少し頬を染め、プロミネントもアゼレアほどでないにしろ、薄く染まる。ただ、褐色の肌のおかげでそれは目立たない。
 もうお互い何百年と生きているのに、こんな幼い子供のような反応をだしてしまうとは。

 「あ、あの」

 「………なんだ」

 「………」

 二の句がつげない。
 一瞬の気持ちの揺れがこうもあとをひくなんて、まだ未熟だという事だろうか。
 尤もアゼレアに至っては異性との交流は、ほとんど女王とその部下、と言う関係上でしか起こらない。アゼレアに想いを寄せている者は少なくないのだが、本人はそういうことに疎いため、気がつかない場合がほとんどである。あとの異性と言えば兄くらい。
 ところがプロミネントの場合は、ほぼ立場的にも対等で、真っ直ぐ向きあえる相手だ。幼い頃からよく知っている。年上ではあるが兄とは思えず、現在は自分がエルフの代表とはいえ、部下とはおもえない。一番近い所で『仲間』だろう。(だがもともとの性格からか、女王と言っても部下の事も『下の者』、と言うより『仲間』、の意識の方が強いのだが)

 「………」

 「………」

 そよそよと風が穏かに吹き行く。
 御互い何も言えない時間が過ぎて行く。
 ついさっきまでは普通に他愛のない話をしていれたのに。

 一度、心呼吸をする。
 ゆっくりと息を吸い込み、そうしてまたゆっくりと吐いた。体の緊張をとかすように。

 「………」

 風は相変わらず周りの匂いを運んで行く。
 その風に木々の葉や草花はゆるやかにその身をゆらし、降り注ぐ暖かな太陽の光は、木陰にいる二人にはまるで万華鏡のように姿を変えて陰影を作りそそがれる。まるで光の編み目の飾り布のように体におちかかり、身を飾る。
 大地や、風や、草木の精霊達が、その陽光の中で静かな鈴の音のような笑い声をかわしながらふわふわと踊っている。

 とても、穏かな一時。









 「………アゼレア?」

 しばらくそんな風に静かな時が過ぎたあと。
 とすん、とわずかに己の肩に重みがかかったので、プロミネントは首を巡らせた。
 見れば。

 「………」

 そこには何故だか気持ちよさそうな穏かな寝息を立てて、己の肩に頭を預けて眠るアゼレア。

 「………おい」

 思わず呆気にとられて呟いた。
 身動ぎをすると、アゼレアの頭が肩の微妙な位置からずれて胸元に落ちる。

 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」

 ますます言葉が紡げなくなって固まる。
 胸元ではすぅすぅと、本当に心地よさそうに眠っている。
 ………ああ、そう言えば。

 「………ここ最近、いろいろあったからな…」

 たまに政務から逃げ出すとはいえ。
 その女王たる役目を放棄することはなかった。
 それにこんなに気持ちのいい天気の日だ。ふっと気が抜けてしまったのだろう。

 「………」

 そこまで考えて、プロミネントは起こさないようにそっとアゼレアの頭と体に手を添えて、ゆっくりと足の上にのせた。体を横たえてやった方が楽だろうと思ったからだ。女と違って男の膝枕なんて硬いだけであろうが、そこはまぁ、我慢してもらおう。

 膝の上に寝かされて、僅かに、んぅ、と小さな声を漏らしたので、内心びくりとしたが、またそのまま静かな寝息が聞こえてきたのでほっとした。

 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」

 はた、となって何とも言えないまずいものを飲みこんだように顔をしかめた。
 なんでびくりとしたりほっとしたりしているんだ。
 寝たのはこいつの勝手で、自分は関係ないのだから叩き起こせばいいだろう。

 「………」

 されど、プロミネントはそのまま声も上げず、揺り起こそうともせず、黙ってアゼレアの寝顔を見ていた。

 明るい緑の豊かな髪。白いきめ細やかな柔らかい肌。簡素なドレスごしからでも分かる、細い四肢。豊かな胸とくびれた腰。造作は元は優しげな作りなので、笑うと本当に花がほころんだようだ。されど、長年女王を務めているせいか、近頃はきりりと引き締まっている。意志の強そうな瞳がなおそう感じさせられる。

 今は穏かに、あどけない子供の様に眠っている。

 「………」

 何となく、手を持ち上げてその背中と自分の膝に流れる髪を一房とる。柔らかな感触。サラサラと指の間からすり抜けてまた膝に流れた。
 そうして今度は頬におちかかる髪をはらってやる。顔が先程よりもよく見える。
 しばらくその顔を眺めていたが、手持ち無沙汰になったのか、また髪を一房とる。その指で、その髪の感触を楽しむ。
 伏し目がちに、彼女の顔を見ながらその手にもった一房にくちづけた。

 日に暖められた草の匂いがする。色とりどり様々な花の甘い香りがする。風は心地よく吹きぬけて、髪をゆらす。



 ふ、と。

 ひかれるように。




 プロミネントは上半身をかがめ。
 眠っているアゼレアの額、こめかみ辺りに。そっと。






 唇を、おとした。










 さり、と、己の髪が流れ落ちた音がした。
 と、同時にがばりとプロミネントは勢いよく上半身を引き上げ、そして口元を押さえた。

 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」




 今、何をした。

 


 その問に、顔が熱くなるのを感じた。
 いやまて、こんな事くらいで何を動揺しているのか。
 こんなものなど、そこらへんの子供だってしている。
 親しい者にならばその証として頬にするものだっている。
 それに自分はもういい大人で、族長で、女性の経験だってそれなりにある。

 だのに。

 プロミネントはおもわず片手で頭を抱えた。
 ………何をやっているんだ、自分。
 ………まいった。
 心底まいった。
 こんな反応をするなど自分でもわからない。どうかしている。
 何でたかだかこんな事で動揺しなければならない。
 と言うかそれ以前に。

 自分はなんで、そんな事をした?

 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」

 さらに黙りこくるプロミネント。
 まるでそんな自分に苛立たしいように強くはきすてるようなため息をついた。
 すると。

 「………ん?」

 激しい気配の揺れがつたわったのか、アゼレアが目を開けた。
 しばらくボーっとしていたが、ゆるりと首をこちらにむけてプロミネントの顔をとらえる。またそこで暫しぼんやりと見ていたが、突如、がばりと状態を起こした。

 「え、あ、やだ、私、何で?!」

 アゼレアはかなり混乱しているようで言葉が上手く出てこないらしい。
 なんだって自分はプロミネントの膝で寝ていたのか。
 目の前でそんなに動転されてみせられると、逆にこちらの頭がひえてくる。プロミネントは大きくまたため息をつき、目元に手を当てる。

 「………あ、あの、私………何で貴方の………」

 その大きく長いため息に、アゼレアも少し落ちつきを取り戻したのか、恐々と両手をあわせて握り締めたまま、問かけてきた。頬が、かなり赤い。

 「・・・・・・・・・・・・・しばらくぼんやりとしていたら、お前が勝手に眠ってしまったんだ。本当は叩き起こそうかとも思ったが、………まぁここ最近色々あってお前も疲れていたんだろう。しょうがないから、膝を貸してやってただけだ」

 「………あ、そ、そう、なんですか。………ごめんなさい、私ったら………」

 本当に恥かしそうに、顔を赤く染め、俯きながら謝った。
 プロミネントといえば、落ちつきを取り戻してきたので、わずかに早い動機をおさえながらいつもの無愛想な声で答えてやる。

 「………別にあやまらんでもいい。そんな長い間寝ていたというわけでもないしな」

 「………はい。」

 それでも顔が赤くなるのは止められない。
 視線を御互いはずし、アゼレアは両頬に両手を当てた。自分でも真っ赤になってるだろうという事をわからせるように、熱い。

 「………」

 「………」

 また、気まずい空気が流れる。

 そして、それを先に破ったのはプロミネントだった。
 不意に立ちあがったので、視線を追い掛ける。

 「あまりこんな所でのんびりとしていたらアイスバーグの奴が来るだろう。いくら仕事を終わらせてきたと言ってもお前は『女王』なのだから」

 「………」

 その台詞に、アゼレアの表情がわずかに曇ったことを前方を眺めていたプロミネントは気付かない。
 だが。

 「いくぞ」

 そう言って振り返ったかと思うと、手を差し伸べてきた。
 アゼレアは思わずきょとんとなって、その大きな掌を見、それからプロミネントを見上げた。

 「………何をしている。戻るぞ」

 「あ、はい」

 再度言われて弾かれるように腰をうかせる。そうして、目の前に差し出されたその掌にそっと、自分の手を重ねた。さらりとした、暖かい感触。
 エルフ族はどちからといえば魔力に長け、肉弾戦にはむかない方なのだが、この掌は明らかに拳や武器で戦うことを知っているものだ。
 男特有のごつごつとした骨ばった手に逞しさと安心感を覚え、それにまた赤くなる。昔幾度か手をつないだことはあるが、ここまでしっかりとした硬さではなかった。

 「まったくお前は、しっかりしているようで、妙な所で奔放だ。アイスバーグの奴も御苦労なことだ」

 プロミネントは掌にのせられた、自分よりも小さく細く、柔らかい白い手をしっかりと握りながらアゼレアをたたせてやる。その感触に、握り潰してしまいそうだと思い、注意をはらいながら。

 「くわえれば、お前は俺に人の話をきかんと言ったが、それはお前とて同じだろうが。正直、お前があの人間と同盟を組んだこと自体、信じられなかった。天変地異の前触れかとも思ったぞ」

 「あら、なぁにそれ」

 男らしい手に気をとられていたが、その言葉にむすりと拗ねるように眉をひそめた。

 「いったとおりだ」

 「プロミネント!」

 プロミネントは少しからかうように笑うとさらりと言い切る。その笑みにアゼレアは思わず声をあげた。

 「さぁ、行くぞ。俺は別にかまわぬが、あとでアイスバーグからきっちり小言をもらうのはお前だからな」

 「………そういう貴方だって、あまりふらふらしていたら、またリリーに怒られるわよ?」

 「………」

 兄の事をもちだされたので、アゼレアも彼の大事な妹の事で切り返す。案の定、少し困ったように、だが傍目には怒っているように見えるように眉をひそめた。それを見て、アゼレアは、ふふ、と小さく笑う。

 「じゃあ、いきましょうか、プロミネント」

 「………ああ」

 言いながら、二人で並んで歩き出した。

 今日は実に良い天気だ。空は青くて風は心地よい。
 静かで穏かな午後だ。

 風格を滲ませながら佇むその城へ、二人は歩いて行く。
 握り締めた手を、どちらからとも離さずに、繋いだままで。














 おまけ。
 二人が城に戻ってくる少し前。


 「すまないな、アゼレアは今休憩中なんだ。もうすぐ帰ってくるだろうとおもうから、それまで待っていてくれないだろうか?」

 妹よりも深みがかった緑の髪に、人間よりもさらに白い肌の整った顔立ちの男、アイスバーグが笑顔で問い掛ける。

 「いいよ、こっちが予定より早くついちゃったからね。ごめんなさい」

 そう言って返事をしたのは明るいオレンジと、焦げ茶の髪を持つ、同盟国のムロマチ国現君主のシンバだ。このあと同盟国同士で会合する予定なのだ。そのためにやってきたのだが、予定の時刻よりも随分早めに現地についてしまった。

 「謝らなくともいいさ。それにしてもアゼレア、いったい何処にいったのだか………」

 妹のたまに見る奔放さにため息をつきつつ、日当たりの良い廊下を進んでいく。
 ふと。

 「あれ?」

 「どうしたんだい、シンバ?」

 一緒にきていた軍師のソルティが問いかける。

 「あそこにいるの、アゼレアじゃない?」

 「え?」

 言われてアイスバーグと、さらに後ろの方からきていたファバージュが同時に声を上げた。

 「どこだ?」

 「あそこ。何かお昼寝してるみだいだよ?誰かと一緒みたい」

 シンバはずっと昔から森の中で育ってきたため、動物並に視力はいい。つまるところ、自然と共に暮らしているエルフ達と同じくらい良い。動体視力に関しては、それを上回るが。
 吹き抜けの窓辺から遠くを指差す。その指先を追い掛けるように視線を転じると………。

 「あれ、プロミネントだね」

 「何!!」

 がばりと身を乗り出したのはファバージュだ。
 シンバの指す先を見れば確かに、銀髪の闇エルフの族長と、白いドレスを着た緑の髪の女王が一緒にいた。おまけに、はっきりとまでは見えないが、その格好から察するに。

 「膝枕………」

 「こんないい天気だもんね、外でお昼寝したくなるの分かるなぁ」

 ファバージュがすっかり顔面蒼白になっているのに気がつかず、シンバはあっけらかんといった。
 後ろではその様子に気がついたソルティがなんといっていいやら複雑な笑みをうかべ、アイスバーグは、二人が一緒にいるのに少し驚きを感じつつも、ショックを受けているファバージュに僅かに憐れみの視線を向けた。

 「な、なんでアゼレアとプロミネントが………」

 ただでさえ、アゼレアの兄であるアイスバーグが完璧に近い立派な男で、それに幼いとは感じつつも嫉妬心を抱いていた。いつか彼のような立派な男になってアゼレアに………などと思っていたのに。
 それがよりにもよってついこの間までいがみ合っていた男に先をこされるとは!

 「プロミネントとアゼレアって仲良かったんだね、この間あった時はぎこちなかったけど、よかった」

 いいや、全然良くない。

 シンバに駄目押しされたような台詞を言われ、ファバージュはそのまま黄昏る。
 そうなってはもう、アイスバーグとしてもかけてやれる言葉もないので、黙っていた。

 戻ってきたプロミネントとアゼレアが、無邪気に二人が仲良くなってることに喜ぶシンバの言動に、揃って赤くなるのをみてさらにファバージュが打ちひしがれるのはその少しあとだった。








 小説トップへ。