主よ人の望みの喜びよ。




 ─────主よ。
      人の望みの喜びよ。







 「アル」

 不意に声をかけられ、名を呼ばれた娘は顔をあげる。
 彼女の周りに集まっていた子供達もつられるように声のした方をみた。
 そこには肩にかかるほどの長めの茶色の髪、夏の陽光のような緑玉の瞳を持った見事な体躯の男。

 「ウェイブ様」

 アルは顔を綻ばせ、嬉しそうに笑い己の主君の名を呼ぶ。

 「じゃあ、今日のお話はこれでお終い。続きはまた明日話してあげるわ」

 「はーい!」

 「また明日ねー!」

 「バイバーイ!おねえちゃーん!」

 周りにいた子供たちが三々五々にちっていく。
 それを手を振り返してあげながらアルはみおくった。

 「…何をしていたんだ?」

 歩みよってきて、帰る子供達の背をみながらウェイブが聞いた。

 「はい、昔話をちょっと。私がここまでくるのにいろんな国を旅してきましたから、どんな国があってどんな人達や風習があったかを話してあげていたんです」

 「そうか」

 短くそっけない一言でおわらせるが、これはいつもの事である。
 慣れていない人だと、あっと言う間に話が終わってしまいとまどう事間違いなしである。
 だがそこはそれ、アルは伊達に4年も待ちつづけていた娘ではない。
 元々マイペースでおっとりとした性格も手伝って、そんなウェイブとの会話も難なく繋げる。

 「今日はこれのお話をしていたんです」

 そう言ってアルは自分の両手におさまっている、古ぼけた小さな箱を見せる。

 「…何だ」

 「オルゴールです」

 「オルゴール?」

 「はい」

 そう言ってアルはその小さな箱の蓋をあけた。つがいで身と蓋がつながっているものだ。
 あけるとその中には小さな人形が優雅な踊りを踊るような姿で立っており、箱の中から流れる音楽と共にまわっていた。

 「古いから、所々音がとんじゃうんですよね。直してもらえばいいんですけれど、ちょっと機会がつかめなくて」

 「…どうしたんだ、それは」

 珍しくウェイブが聞きかえしてくる。

 人の事には無関心のようで戦闘になればとことん我が道をゆき人の話を聞かないところもあるのだが。

 「……タワーから持ってきたんです」

 「………」

 世界に『タワー』と称される物は数あれど、アルがさすものはただ一つ、『スペクトラルタワー』だけである。

 「あの頃、ウェイブ様の他にもいろんな人がタワーを登っていましたよね。そんな人達の中である人がくれたんです」

 ウェイブとアルが初めて出会ったのは今から十数年も前の事だ。
 今でもあの「無限の力」を得られると言うスペクトラルタワーを登る者は多い。
 ウェイブが登っていた頃は人魔間の戦争も休戦状態で一応の均衡をたもっていたせいだろうか、旅する者も多く、塔に登る者も多かった。

 「私がいた町よりももっとずっと上の方に『ガラクタの町』というのがあるんでしたよね?」

 「ああ」

 「そこにすんでいる変わったお爺さんがくれたんだそうです。壊れて動かなかったのをなおしてくれたみたいで」

 音源のピンに関しては直してはくれなかったようである。

 「もらったはいいけれど、自分が持っていたら何かまた壊してしまいそうだからって、くれたんですよ」

 当時のことを思い出しながらくすくすと笑う。
 一体誰だろうか。などとウェイブはぼんやりと昔であった顔触れを思い出す。
 男にオルゴールを渡すわけもないだろうし。
 自然の声をきく少女かメイドか魔法少女か風水師かシスターか死神か。
 それとも自分のしらない他の誰かだろうか。

 「………綺麗な曲ですよね」

 表情がかわらないまま考えていたウェイブにぽつりとアルが呟く。

 くるくるとまわる人形は、所々傷がつき塗ってあった色がはげてはいるが精緻なつくりで表情も豊かだ。
 天を仰ぐように顔をあげ、片方の細い腕と指先を同じように天に向かって伸ばしている。
 流れる音楽は耳に心地よく高く、そして伸びやかに響く音色だ。

 「………ああ。だが、聴いた事のない曲だな」

 「はい。だから誰か個人のためだけに作った曲なのかなって、そう考えたりしてたんです」

 ポーン、と曲が途中で止まる。どうやらネジ巻き式なのでネジがきれたようだ。

 「子供達に聞くといろんな考えをきかせてくれて面白いですよ。どんな人がつくったとか、相手はこんな人じゃないかって」

 ゆっくりと底についているネジをまわす。
 キリ、キリ、と音がしてアルが手を離せば再び人形が踊り、音が奏でられる。

 「あ、そうだ」

 思い出したようにアルがオルゴールの箱の蓋に手をかける。
 よくみるとそこには薄く擦れかけてはいるが、何か文字がかいてあった。

 「ここに何かかいてあるんですよ。薄くなっちゃってるし、それに私の知らない言葉でかいてあるみたいで、読めないんですけど……」

 この世界の公用語はイプシロン言語である。
 他にはストーンカ言語、ムロマチ言語などがあるが主につかわれるのはやはりイプシロン言語だ。
 もっとも、異なる言葉を話す相手同士でも意志の疎通はできる。
 この世界では、「話した言葉に込められた理念が相手の意識につたわる」と言うプロセスがある。
 それはもうここに住む者にとっては無意識に近いことゆえ、違和感なくそれが受けいれられる。
 ただし、話す言葉はともかく、文字としてかかれたものをその知識の無いものが読もうとしても読めない。

 「…書いた者の理念も文字にはこめられてないようだな。もしくは古過ぎて薄れてしまったか…」

 そう言いながらウェイブはアルからオルゴールを受け取り、文字をなぞる。
 文字は知識の無いものには読めないが、その文字に書いた者が一定の想い、理念を込めれば、読めない者でも文字の意味を『感じとる』事はできるのだ。

 「………『主よ』」

 「読めるんですか?」

 「………」

 確かにそこにかいてある文字は一般的に知られている文字ではない。
 だが、スペクトラルタワーの頂上にあるアカシックレコードに触れ、膨大な知識を得たウェイブ。
 彼の中にある知識の一つがその文字の意味を読みとるためにはたらいた。
 うすぼけた文字はこうかいてあった。





 ────主よ、人の望みの喜びよ、

 我が心を慰め潤す生命の君、

 主は諸々の禍いを防ぎ、

 我が命の力、

 我が目の喜びたる太陽、

 我が魂の宝また嬉しき宿りとなり給う。

 故に我は主を離さじ、

 この心と眼を注ぎまつりて。





 「………」

 「…讃美歌、みたいですね」

 「ああ、そのようだな」

 その言葉の本当の意味は書いた者とそれを伝えられた者にしかわからないが、何となく表面上だけではあるが意味はつかめる。

 「…『我が命の力、我が目の喜びたる太陽』…。」

 ウェイブが読みあげた文節を、アルも口の中で繰り返す。



 ──────我が魂の宝また嬉しき宿りとなり給う。



 「………」

 アルはオルゴールを眺めるウェイブを見上げた。

 「…何だ?」

 その視線に気付いたウェイブが問いかける。

 「…いいえ」

 にこりと微笑んで再びそのオルゴールに視線をもどした。


 命の力。
 喜びたる太陽。
 魂の宝。


 「…讃美歌ではあるが、これはコリーア教のものではないな」

 「そうですね。コリーア教のものであれば大抵は聖印がついてますでしょうし…」

 どこにも何かの証になるようなものはみあたらない。蓋を閉じてしまえば、本当にただの古ぼけた小箱だ。



 ─────我が心を慰め潤す生命の君。



 この讃美歌が一体誰のために謳ったものなのかはわからないが、その言葉は、アルにとってのウェイブそのものだった。
 『外』の恐怖に怯えただ毎日を過ごしていたあの頃。
 小さな己の前に現れた、光に満ちた少年。
 自分のしらない「外」の世界の事をたくさん話してくれた人。
 自分が知っていた『外』よりももっと広い「外」の世界の人。

 立ち上がり、何かを成して生きようとする力をくれた人。
 暗い世界にいた自分に光を与えてくれた人。
 この人のために何かをしたいと想い、何よりも大切に思えた人。


 渇いた心を癒してくれた、誰よりも愛しい人。


 そんな風に彼の人を想うことは迷惑であるかもしれない。
 だけれど、それでも自分はそうしたいと想ったのだ。
 自分に光を与えてくれたあの人の笑顔。
 それをもう一度取り戻して欲しいと想ったのだ。
 それがこの人にとって幸せであるかどうかはわからない。
 ただの自分の自己満足であるだけかもしれない。

 それでも。
 
 笑ってほしいのだ。
 心から。
 何の陰りもなく、罪の意識もなく、何かの枷や業を背負うでもなく。

 ただ。




 「…もう日が落ちるな。そろそろ城にもどるぞ」

 「あ、はい」

 見れば森の遠くにとろけるような紅い金の光が消えてゆく。今日の命の光がその役目をおえ眠りにつき、静寂の闇が目を覚ます。闇を彩るは金や銀や青白い小さな光。昏く安らかな静謐の刻。
 振り返ると、城への階段をのぼっていくウェイブの背中が見える。
 大きな背中。
 己には想像もできないような全てを背負ったかのような。

 「………」

 とととっと、小走りにかけよってウェイブにおいつく。
 背中を覆う白いマントは、その人が戦場を駆ければまるで大きな白い翼のようにすら見える。
 だけれど、その翼は自由に空を飛びまわるようには見えず、自らを戒めるかのように鎖で繋がれているようだった。
 昔は翼などなくとも、あれほど自由に大地を駈け回っていたというのに。
 『翼』を得たのに、それはこの人を苦しめるだけでしかなかったのだろうか。


 ………だから自分はここにいる。
 この人の背負うものの前に対してはなんの力もない脆いものでしかないかもしれない。
 押し寄せる荒波の前に容易く壊れる遮りでしかないのかもしれない。
 けれど、それでも、それでもいいから、弱い支えでもいいから。
 何もせずにただ、あの人がどこかへ行ってしまうのを見送るだけなどはいやだった。
 脆くても、容易くても、弱くてもいいから。
 この人を守りたいと想うのだ。

 背中を支えるだけではなく、前に立ち、この人の盾になりたいと想うのだ。


 「………」

 そこまで想って、アルは小さく首を振った。
 自己満足も甚だしい。
 そんな事をおもっても、やはりこの人にとっては迷惑なだけかもしれないと言うのに。
 連綿と続く想い。
 アルは小さく息を飲み、まるで何かを落ち付かせるように息を吐く。
 ………だが、それでも最後に行きつくのは、迷惑だと思われても、それでもこの人の力になりたいと言う事だった。
 迷惑で、自分勝手で、押し付けがましいと言われても。
 それでも。


 いつの間にかうつむいていた顔をあげる。またあの大きな背中が見える。
 そういえば、幼い頃はこの人の後をついていくのに、おいてかれないようにその服の裾を掴んで歩いていた。もっともウェイブは、幼い自分の歩調にあわせて、ゆっくりと歩いてくれていた。

 「………」

 手を伸ばす。
 指先をのばし、そのマントに触れようとし、1度弾かれるように指をひきもどす。
 それからもう一度、そっと伸ばす。

 「アル?」

 「は、はいっ!」

 突然ウェイブが立ちどまり振り返り声をかけてきたので、アルは思わず上擦った声をあげてしまった。
 条件反射で、伸ばしていた腕も背中に隠すようにひっこめた。

 「………どうした」

 「い、いいいいいえ、何でもありません!」

 いつもおっとりとしているアルにしては珍しい慌て振りにウェイブは(表情はかわらないが)怪訝そうに彼女をみやる。

 「………」

 にこにこと笑顔を返すアルに疑問を持ちながらも、ウェイブは再び歩き出した。

 「…あの、ウェイブ様」

 「何だ」

 歩きだしたウェイブの後をついていきながら、アルはぽつりと言った。

 「…マント、つかんでもいいですか?」

 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」

 突然の奇妙な申し出に、ウェイブはまた立ちどまってアルを見下ろす。
 その視線の意味するところを悟って、アルは照れたようにはにかむ。

 「…私が小さい頃、ウェイブ様の後をついていくのにおいてかれないように、よく服の裾をつかんでましたよね。…それでちょっと、何となく。」

 「………」

 「…駄目、でしょうか」

 問い掛けると、ウェイブは目を伏せて小さくため息をついた。

 「…勝手にしろ」

 「!はい!」

 さっさと歩きだしたウェイブにおいていかれないよにアルは背中のマントを軽く掴む。
 その懐かしさにアルは子供のように笑った。
 もう片方の腕に、しっかりとあのオルゴールを抱いて、アルはウェイブの後をついていく。

 迷惑でもなんでも、それでもウェイブが自分を側にいさせてくれるかぎり。
 自分はこの人のために僅かでもいいから何かをしよう。
 側にいれるかぎり、側にいよう。



 「………」

 不意に、ウェイブが自分のマントを掴むアルの手をとった。
 それにきょとんとしていると、ウェイブはそのまま手を繋ぐようににぎってきた。

 「ウェイブ様」

 「…お前は放っておくと何をしでかすかわからん」

 呆れたような口調でいい、そして手を繋いだまままた歩き出した。

 「………」

 手袋ごしでもわかる、自分よりも一回りも大きくて厚い手。
 アルはその繋がれた手をじっとしばらく見てから、また、嬉しそうに笑った。
 そうして、きゅ、とウェイブの手を握り返した。


 自分が守りたいとおもった、その背中を見ながら。











 ────故に我は主を離さじ、

       この心と眼を注ぎまつりて。











   



03/09/19

ブラウザの戻るでおもどりを。



いつだったか。
まだIFさんちのパスワード掲示板があったころにかいた物です。
バッハ作『主よ、人の望みの喜びよ』を読んでいて思い付いたもので。
この背景に使われているイラストはイラスト部屋にもありますが、そこでお借りしている『主よ〜』のMIDIがオルゴール調でとても綺麗なんですよ。是非聞いたってください。

ちなみに作中にかかれている、「話した言葉に込められた理念が相手の意識につたわる」と言うプロセスは本当にネバーランドにあります。んだから、ほんの子供でも様々な種族や国の人達と会話できるんだそうで。何て便利………!でもそれでもちゃんと文字は様々には存在してるんですよね。そうして、その文字にも想いを込めてかけば、読めない人にもその想いは伝わるという。………何かいいですね。その当時の人の想いが伝わるのって。
ウェイブさんはアカシックレコードによって様々な知識を持っているので大丈夫ですが。

でもなんでチキュウの曲があるんやねん、と言うツッコミに対して。
ネバーランドとチキュウは表裏一体のようなもので。ましてやスペクトラルタワーはあらゆる力が集結します。色んな人もやってきます。異界の魂の召喚と言うのもありますし。だから、チキュウから、何らかの力で、物によって『想い』が迷いこんだり、誰かがそれを形にして残したりもすると思うのですよ。
それが、オルゴールという形で残り、様々な冒険者がつどうスペクトラルタワーにあったという。

ちなみにアルにオルゴールを渡したのは少なくとも死神さんじゃありません(´▽`)ノ


この讃美歌は、読むとウェアルちっくで好きです。
とは言っても、アルにとってウェイブは『神』なのか、と言うとそうではなく。
讃美歌でも表現してあるとおりの、『力』であり、『太陽』であり、『宝』であるかと。
崇拝する対象じゃなくて、自分が生きることそのものに大切な『光』と言うか。
アルにとってはウェイブさんはウェイブさん。恐れられる『闘神』でもなんでもない。

ウェイブさんは、アカシックレコードによって『力と知識』と言う『翼』を得ました。
けれどそれは、力も知識もない、地上を駈け回っていた時以上に、ウェイブさんを戒めているようで。 何も知らなかったからこそ自由であったのかもしれないけれど。

アルはその鎖をほどいてあげて欲しいです。それによって、崩れ落ちてしまうかもしれないけれど、それを支えてくれるはず。

………夢見すぎてますか。(横倒


アルがウェイブさんのマントを掴むシーンが好評でした。
小さい頃、きっとアルは一生懸命ウェイブさんのあとをついてまわってたと思うのですよ………!
想像すると可愛いと想いませんか皆様。

ともあれこのへんにて。


参考
コラール「主よ、人の望みの喜びよ」J.S.バッハ作曲
カンタータ147番「心と口と行いと生命もて」より