Call my name.




 ──────本来、彼女は贅沢の限りを尽くしたようなパーティには興味も無く、また自分でも開ける立場にいながら、開こうとはしない。そんなことで芳しいとは言えない財政を圧迫するよりも、他のことに時間ともども使うべきだと考えている。
 それでも他国との友好状態を保つためには、ひらかざるをえない、または出席せざるをえない時もある。そしてそれが今日だった。
 巧みな話術を駆使しながら己の責務を果たす。ようやく解放される頃は既に深夜に近かった。



 着替えの手伝いなどをしようとついて来た官女達にやんわりと断りの言葉を告げると、彼女は自室に引き上げた。重厚な木のドアを静かにしめると、知らず、深い溜め息をつく。

 「ご苦労なことだな」

 彼女の部屋であるからして、この部屋の主は当然彼女である。だと言うのに、それは部屋の奥から聞こえた。しかし、闖入者に彼女は驚きもせずに、笑みすら浮かべた。苦笑めいたものだった。

 「そう言う貴方は、何をしてるんですか、こんなところで」

 彼女が声の方向へ歩みよれば、実用性を重視したやわらかな造りのソファに腰掛けている男が一人。いつもはショルダーガードとマントという出で立ちだが、今日は黒の長袖のシャツに同色のスラックスと言う、至って地味な格好だった。足を組み、まだ明かりもつけていない、だけれど月明かりでほのかに薄明るい室内で男は彼女を眺めた。

 「何だ、珍しく着飾ってるな」

 それは常日頃の彼女の質素さから見て、である。
 彼女は今日は真白のドレスをきていた。体の線にそった、女性の艶やかさを主張する形で、裾は柔らかく波打っている。所々に銀の糸で刺繍してあり、それは緻密で精緻であった。絹糸のようだと表現される銀髪は緩く後ろにまとめており、両の耳にはアクアマリンのピアス。首から下がり胸元を彩る首飾りも同じ意匠のものだ。手首までの手袋をはめ、指輪を右手に一つはめている。これもまた、ライトブルーに輝くアクアマリン。
 この国の者達の中には、彼女を雪の女王のようだと言い表す者がかなりいる。今日の衣装も、それにちなんだもののように見えた。

 「今日はパーティがあったんですよ。ふふ、沢山お話して少し疲れました。……貴方は何をしてらしたんですか?」

 男が座っているソファに、少し間をあけて座る。

 「自室で執務だ。そんなくだらんものに出ようと思わんし、俺が出たら出たで大騒ぎだろうしな」

 男の方もこの国では重要な立場にいるのだが、それは表だってのものではない。

 「そんな人が、なんで私の部屋にいるんですか?」

 「俺の勝手だ。来たい時に来て何が悪い」

 腕を組み、いつもの不敵な笑みを浮かべる。彼女以外に向けられる時は、それに嘲笑または侮蔑がこめられるのが常だ。
 彼女は肩をすくめて見せる。男の傍若無人ぶりは今に始まったことではない。
 ともあれ、少々息苦しかった場所から解き放たれ、その束縛を完全に消そうとする。彼女はまず手袋をはずすために、指輪を取ろうとした。

 「………………」

 側でそれを見ていた男は、不意にその手を制した。細く長い指を包んだ手袋をはめた手をとる。しなやかな腕は柔らかさをあらわす曲線をえがき、肌は月明かりのもとで薄ぼんやりと青白い。きめ細やかな皮膚はさらりとして、ほどよく冷たい。
 手をとったまま黙る男に彼女は首を傾げる。

 「……いったい、どうし……っ」

 先の言葉は紡げなかった。喉の奥で声として発せられるのを拒否したからだ。その原因は彼女の心中。男の行動。
 男は薄い唇を開き、手の平に収まった彼女の指を口元に寄せる。そして指輪をつけていた薬指をそっと食むように招き入れた。
 言葉とともに息を飲む。全身がその行動に硬直し、指先まで動けなくなった。その様に、男の目が細められた。楽しんでいるようだった。

 「………………っ」

 彼女は男の行動から目を離せれない。
 男は、固まった指先に触れぬように、途中まで取れ掛けていた指輪をかんだ。殊更ゆっくりと、アクアマリンの指輪を白魚の指から引き抜く。繊細な陶器のような手を口元から解き放つと、彼にとっては特に価値のない指輪を己の手の中へと収める。口の両端を、薄らと笑みに形作る。

 「な、何を……」

 その、意地の悪い、と感じた笑みに彼女は我に返り、形のよい柳眉を寄せて非難を含めた問い掛けをした。しかしその声に勢いはない。彼女の手も、男の手中にあるままだ。

 「別に」

 言いながらやはり楽しげに目を伏せて、恭しく彼女の手の甲に手袋ごしに口付けた。その口付けは、手の甲から指の関節へ、そして指先へと移動する。確かめるようにゆっくりと。青みを帯びた銀の髪の奥の赫い瞳は瞼に閉ざされ、彼女には見えない。

 「……離して下さい」

 ほんの僅か、手に力を込め、引き戻したいのだという意思表示をした。けれど男はそれを気がつかなかったように無視した。指先に口付けたあと、その手を持っていた手の平を手首の辺りへと移動させる。何をするつもりか、と疑問が生じた時、彼女は再び驚きを経験する。

 「ちょっ……」

 白いサラサラとした上質な布でできた手袋の指先を、男は先ほどの指輪と同じようにかんだ。ただし、その中の指ごとではなく、手袋だけを。そっと首を引き、彼女の優美な手を隠す手袋を引き脱がし始めた。
 手首の辺りのゆるやかな締め付けに、男は掴んでいた手の指先を指し入れる。指の腹で撫ぜるように促がすと、いくらばかりかの抵抗を感じながらも、手袋が脱げてゆく。

 「……っ……」

 その肌から布を取り払われる感触に、知らず彼女は頬を赤くする。
 するり、と衣擦れの音がし、白い指が姿を現した。
 手袋をかんだまま、男は伏せていた赫い両目を開けて薄く笑う。月明かりしかない青白い闇の中、炯々と光るその瞳は何処か獲物を前にした獣の残虐さにも似て、同時に酷く妖麗だった。
 身の内から何かが這い上がり、背筋を撫ぜ上げる。皮膚が泡立つようで、彼女は男をただ見つめることしかできなかった。
 無造作に手袋を捨てると、ようやく現れたその華奢な手に、待ち焦がれたように唇を落とした。手袋越しではない、ほのかに暖かい口付けに彼女は、何かを堪えるように、先ほどから握り締めていた自由だった片方の手を、更に強く握りこんだ。

 「この方がいい」

 愛しげに手を唇で食みながら、笑って呟いた。
 男は彼女が、何も飾らない、きのままの方が何よりも美しいことを知っている。

 「どうした」

 まるで何事もなかったかのように平然と、しかしその両眼には艶を帯びた好奇の色が湛えられていた。

 「………………ずるい、です…………っ」

 「何がだ」

 弱々しい彼女の声に、更に機嫌をよくしたようだが、調子は変わらない。相変わらず抑揚のない音で言葉を綴る。

 「何がずるい? 言ってみろ」

 「………………っ!」

 不遜なまでに堂々とした態度に、彼女は悔しさを感じずにはいられない。何故この男はいつも。

 「……細い指だな」

 脈絡なく、男が言った。かと思うと、さんざん彼女を弄び楽しんでいたくせに、再び揺さ振り動揺させる喜びを見出した。
 今度こそ本当に、彼女の指を口に含み、舌でゆっくりと慈しみ始めたのだ。

 「ちょ、や………っ!?」

 ちゅ、と、わざと水音を立てるように舌を動かす。軽く歯をたてて食み、舌先で撫ぜ、柔らかく吸い上げる。伏し目がちの視線で、彼女に己のしている様を見せつけるように続行する。
 微かに触れる位置で舌をそっと動かしてゆくと、びくりと彼女の肩が揺れた。頬を染め、湧き上がるものを抑えこむように口を噤み、男の行為から目をそらす。抵抗するすべがそれしかなかったのだ。

 「………………っ」

 小刻みにふるえる体と、ほんの僅かにすり合わせられた足元に気がついて、男は満足そうに内心で笑う。
 ゆっくりと降り、到達した手の平にも口付けた。湿った指先は力なく、為すがままだった。強く戒めているわけではなく、その気になれば男の束縛から囚われの手をたやすく解放できるであろうに。
 彼女の手のうまさをたっぷりと味わうと、唇を寄せたまま、彼女に問い掛けた。

 「俺に何か言いたいことがあるんじゃないか?」

 言葉と共に自然に発せられる呼気にすら、肩をすくめた。

 「……離して、下さい」

 男に視線は向けぬまま、彼女はか細く願いでた。

 「違うだろう?」

 しかしその願いはあっさりと否定される。

 「言いたいことは、そうではないだろう?」

 喉の奥で小さな笑いの泡が弾けていた。緩慢に身を乗り出し、男は彼女との距離をつめる。その動きに当然彼女は身を引いた。けれど手は柔和な戒めに振り解けずにいる。互いの呼吸を感じ取れるほどまで顔を寄せた。

 「スノー」

 その響きは甘美なまでに彼女の耳を痺れさせた。男は他者には見せない、彼なりの彼女に対する想いを込めた表情で、こちらを見ない横顔を慈しむ。掌中にある白い手以外には触れず、ただ青い影の落ちる瞼の向こうの青紫色の瞳を待ち続けた。

 「………………」

 彼女がその扉を躊躇いがちに開け放ち、男の名を呟くまであと少し。