ランチタイム






 親友で兄の嫁でもある(あの愚兄には非常に勿体無いと思っている)女性の店に遊びに行っていたヒロは、家に帰ってきてドアを開けた所で、朝から出掛けているはずだった夫の靴がある事に気がついた。
 確か友人の所へ、仕事の話をしにいって、夕方頃に帰ってくると言っていたのだが。
 だからこそヒロも出掛けてたのだ。お昼もあっちで親友と一緒にとろうと思っていたが、兄に尽く邪魔されて、腹が立ったので帰ってきてしまったのだ。思えばそのまま店番を兄に押しつけて親友を連れ出してしまえば良かったと今更に思う。
 どこかで外食しようとも思ったが、あまり無駄な浪費は控えた方がいいと思い直し、家に戻って来たという所だ。昔はなかった経済観念が、ここ数年でみるみる身に付いてきている。
 「サトー?」
 靴を脱いで廊下を歩くと、キッチンの方から音がしてきた。暖簾をよけてキッチンを覗くと、そこには逞しい体躯にシンプルなエプロンを身につけた夫が立っており、料理をしていた。
 「お、姫さん、お帰り。どこ行ってたんだ?」
 「スノーの所だ。……ところでお前、何作っているんだ?」
 テーブルの上をみてみると、どうやら料理に使うであろう材料が置いてある。
 「昼飯」
 「……それは時間を見ればわかるが、いや、そう言えばお前夕方に帰ってくるとか言ってたじゃないか。昼もチクとザキフォンと一緒に取るんじゃなかったのか?」
 そう言うとサトーは包丁を持ったまま振り返った。どうやら玉葱を切っていたようである。
 「それがよ、ザキフォンの奴急な仕事が入っちまってな。他のヤツじゃ手に負えないってんで帰ったんだよ。俺の方はまぁあとでも大丈夫な話だったしな。チクのヤツは話してる途中でトゥエンティーに拉致られた」
 「は。」
 「『丁度いい所にいた』とかっつってチクの抗議も聞かずに首根っこ持ってそのまま。しょうがねぇから帰って来た」
 なるほど、ようはサトーも自分と同じように予定が狂って戻ってきたと言うわけだ。
 それにしても何を作っているのだろう。テーブルの上に置いてあるのはロングパスタに何やら緑色の細長い葉を持った香草のような物。ボールには色々調味料を混ぜた液体が入っている。匂いからしてレモンも入っているようだ。ガス台の上を見れば中華鍋が火にかけられており、何かを蒸しているようだった。
 パスタに中華鍋と言う異色の組み合わせにヒロは首を傾げる。
 「これは何だ?」
 香草を持って少し千切る。すっとした、仄かに甘い香りがした。
 「ああ、そりゃういきょうだ。帰り際にな、アル嬢ちゃんに貰った」
 「ういきょう?」
 「ああ、フェンネルっつった方が馴染みがあるかな。アル嬢ちゃんが自家菜園で作ってるみたいでな。多くなりすぎたからどうぞっつって。ついでにそれ使ったレシピも貰ったから早速作ってるんだよ」
 近くで喫茶店を営んでいる新妻。彼女は喫茶店で簡単な料理を出すだけでなく、夫が事の他よく食べる人なので、料理の腕前については相当なものなのだ。それで実益と趣味もかねて菜園も持っている。
 「ふぅん?」
 「もうちっとかかるから、姫さんは休んでろよ」
 「いや、手伝う。ただ休んでいるのも何だから食器とかを用意しておいてやろう」
 「お、サンキュー」
 サトーは薄くスライスし、水にさらした玉葱と、同じく切ったういきょうの茎、適度な大きさに千切ったういきょうの葉を、用意してあったボールの液に漬け込む。
 暫ししてから中華鍋の火を止め、取りだしたのは適度な厚さに切った鮭だった。どうやら中に網を置き、何かのチップも入れて、蒸していたのではなく、燻していたようだ。簡単なスモークサーモンが出来あがっている。
 「あ、いい匂い。何だ?」
 「桜のチップ。結構簡単に作れるもんだな」
 覗きこんできたヒロに、サトーは鮭を少し切って口に放り込んでやる。
 「む、う、ぅん。あっさりしてて美味い」
 出来立てで多少熱かったものの仄かに香る桜のチップの匂いと鮭本来の味に感心した。と、同時にその美味さにムカツキを覚えた。
 「そっか。うんじゃ次はっと」
 ヒロが僅かに不機嫌そうな表情になっているのに気がつかず、サトーは作業を続ける。粗熱を取り、半分程、適当な大きさに切ったそれも先ほどの液体の中へと漬ける。残り半分は飾りつけ用。
 そうしている間に、別の鍋に湯をたっぷりと沸かしておく。用意しておいたロングパスタを二人分湯で上げ、氷水で冷やす。どうやら冷製パスタにするようだ。
 水気をよく切ったパスタと鮭や玉葱を漬けていた液に入れて混ぜ合わせる。あまり混ぜ合わせすぎても、一緒に入れた鮭の燻製がぼそぼそになってしまうので、程ほどに。
 ヒロが用意しておいた皿にそのパスタを盛り、残りの鮭とういきょうの葉を飾った。
 あとは簡単に作ったレタスとツナのサラダにコンソメスープを添えて。
 昼食の出来上がりである。





 それにしても、と思う。
 目の前にいる男は、見た目も性格もごつくて粗っぽく大雑把なはずなのに、何故か手先が器用でさりげない心配りができる。正反対の性質を無理なく備えている事が不思議でしょうがない。緻密な計算や難しい事柄なんて、そう言う事が得意な友人に任せるくせに。
 料理の事にしてもそうだ。
 一人暮らしが長かったとはいえ、この男の腕前は、たまに料理教室も開いている喫茶店の新妻も驚くほどだ。
 そしてそれを知らしめるように今、男が作った出来たての昼食。
 「どうよ、姫さん。結構いけてると思うんだけどよ」
 出来映えに満足しながら問い掛けてくる。ヒロは頷いてから一口食べた。
 マリネ風に仕上がった玉葱にういきょうとレモンの酸味がさっぱりとしており、一緒に入れた鮭ともよくあった。パスタは細めで、冷製にしたから硬いかな、と思ったが、意外に程よい硬さで喉ごしがよかった。
 味もさる事ながら、これは香りを楽しむパスタだと思う。香りが食欲を増進させる。
 「……美味い」
 「そっか、そいつは良かった」
 ぽつりと告げられた感想に、サトーは相好を崩した。嬉しくてたまらないと言った風で、他人が見たら幸せそうだなぁと思うだろう。
 が、しかし。
 「……良くない」
 「は?」
 「良くない」
 「姫さん?」
 「良くないぃ〜っ!」
 眉間に皺を寄せ、心底悔しそうにヒロが唸った。思いがけない台詞にサトーは呆気にとられた。
 「な、何で良くねぇんだよ。美味いんだろ?」
 「確かに美味い。美味いけど良くない。むかつく!」
 「はぁ?!」
 意味不明な言動にただサトーは目を丸くするばかりだ。だが、ふと前にも似たような事があったと思いだす。
 「……姫さん、だからよ、俺は一人暮らしが長かったから、料理もずっとやってきたから、その分できるんだって。姫さんだって練習すりゃすぐ上手くなるんだからよ……」
 以前にも何度か、サトーが作った手料理を食して、ヒロが同じ事を言った。恨みがましそうに、何でお前がこんなに美味い料理を作れるんだ、卑怯だ、と何とも理不尽な事をだ。負けず嫌いな性格も手伝って、女として男よりも料理が作れないのがたまらなく悔しいらしい。
 今や女だ男だと差別するでもなく、家庭でも男だって料理をするものだ。それにほとんどの店では厨房は男の方が断然多い。
 だがしかし、彼女にとってはそんな事は関係ないのだ。
 とにかく自分より美味い料理が作れるのが悔しい。
 「それに今回のだって、アル嬢ちゃんがくれたレシピのおかげなんだし。な?」
 何とか宥めようと試みるものの。
 「私だってアルに教えてもらったレシピで作った事があるが、最初っからこんなに美味くなんてできなかったぞ。何でお前はこんなに美味くできるんだ。ずるいぞ!」
 「ずるいって言われてもなぁ……」
 何度繰り返されたかこの会話。
 今回のは、おなじように教えてもらったレシピで、一回で上手く作れたという事が、更に怒りの要素に加わったらしい。
 「これ食べたらアルのとこに行くぞ!」
 「へ?」
 「アルに別の料理を教えてもらって、お前を唸らせてやる! もちろん一回でだ!」
 「だからって何で俺まで一緒に」
 「暇なんだからいいだろう。付き合え。アルに教えてもらっている間に、お前がアルのかわりに店番をするんだ」
 何とも無茶苦茶な台詞である。だがしかし、そこまでムキになるヒロに内心、愛しさをしみじみと感じる。
 「別にアル嬢ちゃんに教えてもらわなくても、姫さんの作るのは美味いって」
 「嘘付け」
 「嘘じゃねぇって。姫さんが作るのは何でも美味いよ」
 「それが駄目なんだ!」
 フォークでサトーを鋭く指差す。その迫力に多少身を引きながらサトーは訝しげな顔をした。
 「私が作るから何でも美味い、じゃ駄目なんだ! それじゃ、不味くてもおまけしてもらってるみたいで、情けないじゃないか!」
 奇妙な対抗心とプライドの炎を燃やしているのが目に見えるようだ。確かに尤もではあるが、サトーにしてみれば本当に美味いと思うのだ。彼女が、自分のために一生懸命作ってくれた事が嬉しくて。おまけなどと言うちゃちなものでは片付かない。
 「じゃあ聞くけどよ、姫さん、何で俺の料理が美味いと思う?」
 「そりゃ、お前が作るのが上手だから……」
 「それだけじゃ本当に美味いとはいえねぇぜ?」
 「何?」
 少し冷めてきたコンソメスープを飲み干してサトーは続ける。
 「俺の愛情がたっぷりはいっていて、でもって姫さんがそれに応えてくれてるから美味いって思うんだぜ?」
 にやりと悪戯っぽく笑って言われた台詞に、ヒロは思わずスープを吹き出した。
 「な、な、な、何を恥かしい事を言っている!!」
 からかうようにとはいえ、普通ならば言えないような台詞をさらりと吐かれてヒロは顔を真っ赤にそめる。
 「だってそうだろ? 好きでも何でもねぇ奴と一緒に食べるよか、好きな奴と一緒に食べる方が、同じ料理でも美味いって思うじゃねぇか。ダチとだって、一緒にいて楽しいから、飯も自然と美味く感じる。そうだろ?」
 「……む、う、……まぁ、確かに、な」
 ヒロも、スノーやメイミー達と一緒に取る食事は楽しいし、確かに美味いと思う。多少はずれの料理がきても、一人で食べるより落胆が少ないと思った。
 「一人で食べるよか、家族と一緒にわいわい騒いで食べる方が何倍も美味いし。俺はずっと一人暮らしだったからよ。同じ自分で作った飯でも、今姫さんと一緒に食う飯の方が断然美味い」
 「…………」
 「だから、そんな気負わなくていいし。姫さんの作ってくれるのは本当に美味いよ」
 ヒロは俯き、頬に火照りを感じながら、フォークをもてあそぶ。しかしそれもやめて、バン!とテーブルに手を叩き付ける。
 「……だがそれなら、今以上にもっと美味いと思える物を作りたい。やっぱりアルのとこへ行くぞ!」
 「……はいはい」
 向上心に燃える彼女に、サトーは笑いを零した。
 そうして改めて食べたパスタは、ヒロの自分への気持ちもあいまって、更に美味しく感じたとか。







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姐さんにささげます。
現代版サトヒロ話!いつの間にか長くなったよコンチクショウ。
ちなみに作中にでてきてる料理はこちらを参考にしております。
何でこんな話になったかって。
10月25日の誕生花がういきょうだからです。他にはピンクッションとか楓とか。
で、ういきょうが結構色んな料理にもつかわれているハーブだと知ってこんな話に。
漢方薬にもつかわれてるとか。腹痛や眼精疲労にいいそうです。
こんなもんでいかがっすか!姐さん!

04/11/10