雪の雫


 それは雪が溶けはじめる早春の頃。
 ぱたぱたと元気よく走る一人の少年。葉のすっかり落ちた落葉樹の森の中を、その裸木立の隙間からさす暖かな太陽の光の下(もと)、走りぬける。
 「母さん!早く早く!!」
 「はいはい。そんなに急かさないで」
 振りかえり、足をとめ、後ろからついてくる女性に大きく手を振る。その元気のよい様を見て、女性はくすくすと笑う。
 「あんまり走ると転ぶわよ?雪がとけてきて滑りやすいんだから」
 そう言って、それでも少し歩を早めて後を追う。
 空気は冷たいが、太陽の暖かさもあってか、逆にその冷たさが気持ちいい。
 少年は所々にある、雪解けで出来た水溜りを飛び越え、残っている雪を踏みしめ、軽快に走る。
 と。
 「・・・・?」
 走っていくと、何やら落ち葉の下から何かが顔をだしているのが見えた。
 そこで立ち止まり、しゃがみこむ。
 「どうしたの?」
 ととっと、追いついてきた母親が、少年の上から覗き込む。
 「あら」
 少年の視線の先のものを見て、女性はふわりと微笑む。
 「珍しいね、こんな所でも咲いているなんて」
 それは、草丈は10センチほどの、純白の可憐な花。まるでランプのように下向きになって咲いていた。
 「お母さん、これ、何?」
 真っ白で、下向きに咲いている小さな花が珍しかったのか、少年母親を見上げる。
 「これはね、『スノードロップ』と言うんだよ」
 「すのーどろっぷ?」
 母親の言葉を復唱する。
 「そう、だいたい、今頃に咲く花なんだよ。雪のない所だったら、冬でも咲くだろうね。こんなに小さいのに、強い花だね」
 そう言って、少年の横に行き、おなじようにしゃがみこんで、その白い花をつんと少しつつく。軽く揺れる様も愛らしい。
 「すのー…スノー。お母さんと同じ名前だね!」
 何がそんなに嬉しいのか、少年は満面に笑みを浮かべて、母親に言う。
 「ふふっ、そうだね」
 そうして母親も、その笑顔を愛しく想い、優しく微笑んだ。
 「これ、摘んでいっていいかなぁ?」
 いいながら、少年はその小さな花の茎に手をかける。
 「あ、駄目だよ」
 しかし、母親はその手を制する。
 「茎を折ったら可哀想だろう?」
 「・・・・でも・・・」
 少年はその花が気にいったらしく、どうしても欲しそうな顔をする。
 「しょうがないねぇ」
 苦笑して、母親はそっと、その花を根ごと土ごと掘り返した。手が汚れるのもかまわず、その花をすくいあげる。
 「このままで、もって帰ってどこかに植えかえようか」
 「・・・・うん!」
 それに少年は、大きく頷いた。
 「さぁ、じゃあ、急いで帰ろうか。ジャドウ」
 白い小さな花を持つ、銀の髪の女性。
 微笑む彼女が、少年は大好きだった。




 「・・・・・・・・」
 ふ、と目を覚ます。
 「・・・・・・・」
 く、とかるく銀の前髪をかきあげ、こめかみあたりに手の平を置く。しばし、視線をうつむき加減に投げ出す。
 大きな窓辺の棧に腰掛けたまま、ほんの少し転寝をしてしまっていたようだ。
 外は雪が溶けはじめる、冬の終わりと春のはじまりの2月。久しぶりに空は晴れ渡り、真っ青で、大地の白と見事な色合いで美しい。
 何故だろう。
 久しぶりにあの人の夢をみた。
 ずっと昔の事なのに、それはやはり、けして色あせる事のない記憶。
 「・・・ふん」

 赫い瞳で、少し伏し目がちに外を見やってから、小さく息を吐く。そうして外套を翻し、部屋をでた。



 「スノー様、どちらにお出(い)でで?」
 長い銀の髪をたっぷりと緩く結った少女をみかけて、彼女の忠臣の男が声をかける。
 「バグバット。ええ、今日は天気がいいから、ちょっと散歩をしようかとおもって」
 「そうですか。まだ少し寒いですから、上着は着ていってくださいね」
 「ええ。有難う」
 にこやかに笑い、バグバットは軽く礼をしてから向こうへと去っていった。
 スノーは黒の上着をはおり、庭へと出る。
 確かに、ほんの少し冷たい風が肌を撫ぜる。だが、それが清々しく気持ちよい。大きく息を吸いこみ、雪の匂いのする空気を飲む。
 遠くの山々はまだまだ真っ白で、陽光を浴びて銀の光をはなっている。葉のない木々がその中にたつ様は、殺風景ではあるが、どこか静謐として、自然の強さを感じる。
 ふと。
 離れた所に、見覚えのある姿を見つけた。何かを持っており、今し方、空から降りてきたようだった。こちらに向かって歩いてくる。
 「ジャドウ」
 その姿を視界におさめ、スノーは名を呼んだ。
 「どうしたんですか?」
 「・・・・・・・・・」
 返事をせず、歩み寄ってきた男はスノーの前までくると、すい、と何かを突き出すようにみせる。
 「・・・これは・・・」

 それは、小さな鉢植え。
 そうしてそれには、小さな純白のランプのような花。

 『スノードロップ』。

 「やる」
 短く言って、その鉢植えをスノーに手わたす。
 見れば、きちんと根ごと土を掘り返し、鉢植えに移し変えたようだった。
 「・・・・・・」
 どうしてこんなものを、と視線で問いかける。その視線に気がついて、ジャドウはふいと顔をそむけた。表情はあくまで無愛想。
 「…たまたま見かけたから、とってきただけだ。別に意味はない。何となくだ」
 「…たまたま見かけただけでとってきて、しかも何となくで鉢植えに移し変えてくれたの?」
 「・・・・・・・・・」
 スノーはくすくすと笑う。何だか、ジャドウのその行為が可愛らしい。
 「・・・・ありがとう」
 それからすぐに、嬉しそうに微笑んだ。
 何故、『この花』を見つけて持ってきてくれたのかはわからないが、確かに嬉しかった。(普段が普段なだけに)
 綺麗な可愛らしい真っ白な花。
 「でも…ここにも咲いているのね…この花」
 見覚えのある花。
 それは、昔自分のいた世界にも咲いていたのと同じ姿。
 「ここではこの花は何て言うんですか?」
 同じ姿でも、名前が違う事が多い。問われて、ジャドウはしばし口元を横に引き結び考える。
 「『スノードロップ』だ。」
 それは母親と同じ、そして彼女と同じ名をもつ花。
 その名の通りの、雪を思わせる白い花。華奢なようにみえて、実はとても強い、小さな花。
 「…私の世界の花と、同じ名前なのね…」
 そういって、もう一度花をみやる。
 「お前の世界にもあるのか」
 「ええ、同じ名前の同じ花。私はお花屋さんでしか見た事なかったけど…どこに咲いていたのですか?」
 「・・・・・・・」
 可愛らしく軽く小首をかしげて、スノーはジャドウに視線をおくる。
 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 じーっと見てくるので、ジャドウはそっぽを向いたまま眉間に皺を寄せる。しばらく黙ってから、そうして呆れたようにため息をついた。
 「…わかった。つれていってやるから、人を穴があくほどに見るな」
 「あら、いつもは貴方がそうでしょう?」
 「・・・・・・・・・・・・・・。」
 スノーのさりげない切り返しに、またジャドウは黙った。






 落葉樹の森の中、木々の根元一面にはその純白の可憐な花。
 スノーは、ジャドウの腕の中から降りたって、その中に佇み辺りを見まわす。同時に深い感嘆の声。
 「きれい・・・・!」
 こんなに沢山の野生のスノードロップははじめて見た。きっとあちらの世界ではどこを探してもみあたらないのではないだろうか。
こちらのこの花は、もしかしたら向こうのよりも野生にむいている、はるかに強い花なのかもしれない。
 「こんな所があったんですね・・・!」
 もう一度、よくまわりを見わたす。
 「満足したか?」
 幼い少女のように喜ぶスノーを見て声をかける。それには、何故こんなものでそこまで喜ぶのかわからないといった呆れと、そんな嬉しそうな彼女につれてきてよかったとしらずにひっそりと思う喜びが混じっている。後者の感情は、ジャドウ自身気がついていないだろうが。
 「ええ、有難う、ジャドウ」
 ふわりと微笑むその姿。
 スノードロップの花の中に佇む娘。
 まるでそれは、一人の人間の少女ではなく、儚げだが、どこか芯の強そうな、精霊かなにかのようだ。少し冷たい風に、銀の髪が揺れる。
 「・・・・でも、どうしてジャドウがスノードロップをしっていたんですか?」
 ふと、想い立った疑問を口にする。
 「・・・どういう意味だ」
 「だって、ジャドウ、花に興味なさそうじゃないですか」
 もっともである。
 「・・・別にいいだろう。そんな事は。俺も花の一つや二つぐらいは知っている」
 「そうですけど・・・」
 スノーが疑問に思うのは無理はない。
 実際、ジャドウは花にはまったく興味はない。でもこの花だけは知っている。あの人と同じ名をもつこの花だけは。
 ジャドウがそれ以上の事を話そうとしないので、スノーは別の話を考える。
 「じゃ、この花の花言葉も知っているんですか?」
 「花言葉、だと?」
 「ええ」
 ジャドウの方に歩みより、後ろ手に指を組んで、軽く腰を曲げてジャドウを少し覗き込むようにみる。
 花言葉。
 「しらん。」
 きっぱりと言い放つ。そういえば記憶の中で聞いた気がするが想いだせない。
 はっきりいうジャドウに少し面をくらい、それからくすりと笑う。
 「こちらでは違うかもしれませんが、私の世界では『初恋のためいき』とか『慰め』っていうんですよ」
 「・・・くだらん言葉だな」
 言葉を聞いて、素直な感想を述べる。
 「・・・・あと」
 予想していた言葉を聞いて、スノーは僅かに苦笑する。そうしてさらにつけたした。
 「・・・『希望』、ともいうんです」
 「・・・・・・・・・・・・」
 小さな小さな白い花。
 それはまるで、暗い闇の中を照らす小さな、けれど暖かく強いランプの光のようで。
 闇を裂く一条の光のようで。
 「・・・本当にくだらんな」
 「そうですか?」
 「ああ」
 「・・・・・・・・・」
 スノーは身をそっと翻し、少し歩いてしゃがみこむ。そうして足下に咲くスノードロップの花に触れる。簡単に手折れてしまいそうな華奢な花だ。でも、こんな落葉樹の森の中でも、冬の寒いこの時でも、その白い花を咲かせる。強い花だ。
 「・・・でも、私はこの花は好きです」
 「・・・・・・・」
 「ジャドウは、嫌いですか?」
 「・・・・・・・」
 しゃがんだまま、視線をこちらへ向けてくる。青紫色の瞳。銀の髪によくはえる、夜明けの空のようなその色。その瞳を、ジャドウは少し目を細めてみやる。それからふ、と視線をはずしスノーに背を向ける。
 「・・・さぁな」
 短くそういった。
 それに娘は静かに小さく微笑んだ。『嫌い』だと、はっきり言わなかった。それはつまり。少なくとも。
 「・・・・それよりも、もういい加減戻るぞ」
 「あ、はい」
 言われてスノーは立ちあがり、ジャドウの方へ駆け寄る。ジャドウはそのスノーの細い体をなれたように抱き上げる。腕に人の重さ。けれどとても軽い。銀の髪を持つ娘の顔が、すぐ側にある。いつもの事だ。
 「・・・・・・また、ここへ来たくなったらいえ」
 「え?」
 不意にそう呟くように言われて、スノーは思わず顔を上げた。赫い瞳はこちらを見てはいなかった。
 「そういつもは駄目だぞ。たまに、俺の気がむいた時だけつれてきてやる」
 「・・・・・はい」
 視線をあわせず言うので、何だか知らずに笑いがこみあげて、小さく笑って返事をする。
 「とりあえず今は、貴方にもらったあの鉢植えで我慢します」
 ここへくる前に、女中にたくしてきたあの、一輪のスノードロップが咲く小さな鉢植え。
 「当然だ」
 轟然と顔を上げ、ジャドウは言い放つ。
 そうして、二人は城へと戻る。




 ────昔、あの人と植え、育てた白い小さな花の森を後にして。







   ────  了  ────



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はじめてじゃないでしょうか・・・・。
まともに邪雪をかいたのって。(滅)
サトヒロは沢山かいてるけど・・・。

所で、スノードロップとは、あいんさん曰く2月2日に咲くという花なのです。
2月2日。スノーの誕生日なんですよ。まさにスノーの花♪
けれども、うちのとこの花言葉を調べるやつ。アレでは2月の1日。ぐは。
・・・。いや、2月2日でいいのです。はい。その方が正しいのです。(おい)
さりげにジャドウもスノーも慣れている感じですな・・・。
そうしてうちのスノーは何故か敬語をつかってます。・・・何故だろう。かいていたら、自然と敬語を使わせておりました。????

01/06/09