■小さい手


 「覇王丸さん、覇王丸さん」
 そっと差し込んだ日の光とともに、名前を呼ばれ、覇王丸は薄らと目を開けた。目の前には長い黒髪の少女が微笑みながらこちらを覗き込んでいた。
 「ナコルルか」
 日の光はナコルルに遮られて覇王丸の顔にはかからないが、僅かばかり目を細めて、寝転んだまま頭をかく。
 「目が覚めました? それとももう起きていらしたんですか?」
 言いながらナコルルは、珍しく手布も何もつけていない手の平を覇王丸の額に当てる。その、少女にしては少し硬さを感じる手の平の温かさに、ゆっくりと瞬きをする。
 「熱はもうないみたいですね、良かった」
 ほのかに笑うナコルルに、覇王丸は目をふせて、あくびとともにまた頭をかいた。
 「ちぃとばかり熱がでたからって、お前さんは騒ぎすぎなんだよ。あれくらい、しょっちゅうあることだぞ」
 「何を言っているんですか。しょっちゅうあるからと言って、熱が出たことには変わりありません。だいたい覇王丸さんは無頓着すぎるんです。今回みたいに戦った相手が毒を使っても多少ならとそのまま突貫するし、傷の手当てだって血が止まればそれでいい、みたいなこともあるし、川や雨で濡れたりしても、そのうち乾く、とか言って放っておくし……」
 「聞いてたら俺がとんでもなく無頓着に聞こえるんだが」
 「そう言っているんです。あまり自分の身体を過信してはいけません」
 渋く顔をしかめる覇王丸にナコルルは呆れたように言う。
 「ともかく、その調子でしたら朝餉も食べれそうですね。お婆さんに台所を借りて作ってきたんで、どうぞ」
 その言葉に覇王丸はのそりと身体を起こす。上にかけてあった薄い綿入れの半纏は膝元に置いた。
 「お前さんが作ったのか」
 「はい、一応消化の良いものを作ったんですが……」
 側に置いてあった盆の上には土鍋があった。蓋を開けると、真っ白な湯気が立ち昇る。欠けた茶碗にそれをよそい、一緒に持ってきた魚と野菜の煮物に、香の物を添えた。
 「どうぞ」
 「ありがとよ」
 茶碗を受け取り箸を持って熱い雑穀の粥を吹き冷ましながら食べる。少し濃い目に煮付けられた煮物は粥とよくあった。
 「ん、うまいな」
 「そうですか? 良かった。私、お粥は得意なんですよ。今回は具を入れませんでしたけど……」
 「いや、十分だ」
 温かなものが胃に納まり、自然と心地よいため息が出る。次いで、そこまで減ってはいないと思われたが、途端に活発に動き始めたようで、空腹感を覚える。覇王丸は勢いよくそれらすべてをたいらげた。
 「ご馳走さん!」
 「はい、お粗末さまでした」
 ぱん、と、茶碗を置くと両手を合わせ覇王丸が言う。気持ちのよいほどの食べっぷりに笑いながらナコルルは片付けを始めた。
 「よっしゃ、そんじゃあ、飯も馳走になったし、泊めてもらった礼に、何か爺さんと婆さんの手伝いでもしてくるかな」
 腹が満たされたことで、力を得たように覇王丸は肩を回す。
 「覇王丸さんはまだ寝ていていいですよ。お手伝いは私がやってきますから。昨日の今日なんですから、無理をしては駄目です」
 「何言ってんだ、お前さんだけ働かせてぐうたら寝ていられるかよ」
 「駄目です。また熱が出てしまうかもしれませんよ」
 そう言って、ナコルルは再び白い指を覇王丸の額に手を当てた。さらりと心地よい。
 「熱なんざないだろ」
 「……確かにありませんけど。でも無理をしてはいけません」
 「無理じゃねぇって。動かねェ方が俺には無理だっての」
 細いその手を見る。華奢に見えるが、指先や腕にはところどころに傷跡が見え隠れしていた。
 「…………」
 「どうかしましたか?」
 額から手を離したナコルルは、ふと、覇王丸の視線が自分の手に注がれていることに気が付いた。
 「私の手がどうかしましたか?」
 「ん? いや、小せぇ手だなと思ってな」
 「……それは確かに、覇王丸さんから比べたら小さいし厚みもありませんけど……」
 「おまけに柔らかいしな」
 ぺちん!とナコルルは覇王丸の額を叩いた。
 「何すんだいきなり!」
 「何となくです。……柔らかくはありませんよ。豆だってできてるし、傷もいっぱいあるし」
 「そうだな」
 豆や傷がどうして出来たか、その理由は分かっている。この年頃の娘なら本来まったく無縁なことによるものだ。そして、それらが増えるということは、それだけ、その行為を重ねるということでもある。
 昨夜の戦いも、その一つだ。この辺りを縄張りとしているらしい山賊達だった。少女は無益な殺生を好まないとは言え、刃をふるうことに変わりはない。
 「小さくとも大きくとも、硬くとも柔らかくとも、変わりはねぇな」
 「………………」
 うつむくナコルルの手を、無骨な節くれだった手で、そっと覇王丸は取った。
 「爺さんや婆さんや、お前さんと同じくらいの娘とさ。変わらねぇよな」
 自分が想像していた言葉とは違う台詞に、ナコルルは目を丸くする。
 「………………違い、ますよ。皆さんの手は、命を育み、一生懸命働く手です。私のは……」
 彼女自身が選んだとは言え、それは修羅の道だ。あまりにも違う。
 「まぁ、確かに違うといったら違うけどよ」
 けれども覇王丸はけろりと何でもないように言う。自身の手を重たそうに見るナコルルに言葉を続ける。
 「うまい飯を作ったり、熱を測ったり、な。そういうこともできるだろ」
 「……でも」
 「気になるか?別に気にしてもいいが、気にしたってお前さんが生き方そのものかえん限りは変わらんだろう。変わらんことを思い悩んでも堂々巡りだ」
 「ですがっ!」
 顔を上げたナコルルの頭を、覇王丸がぽんとひと撫でした。
 「俺にとっちゃ変わらんよ。そこいらの娘と同じ小さい手だ。……知ってるか? 自分は他と違う、って考えるのはな、理由は何であれ、自分は特別だって言う自意識過剰にすぎねぇんだとさ」
 「………………っ!」
 かぁっとナコルルの頬に赤みがさす。
 「旅をしてりゃ、いろんなヤツに会うだろ。てんでバラバラで同じヤツなんていない。だから比べる、なんてこと自体、無意味だろ」
 「……なんだか、比べることが無意味、なのに変わりはない、って、矛盾してませんか」
 「してねぇよ。手は手だ。そいつの手だ。お前さんの手だ。ただそれだけで十分だろ」
 ナコルルは強引過ぎる言葉にぽかんとしてしまう。覇王丸は口をへの字に曲げて、ナコルルの手を離した。
 「そういうことで悩む前に行動するべきだと俺は思うがね。取りあえずは、爺さんと婆さんの手伝いとかな」
 「………………そうですね。そうでした」
 くすくすと笑いが込み上げてきて喉の奥で声をたてる。
 「そいじゃあ、行くとするか。……熱がまた出るから安静にしてろとか言うなよ?」
 「もう言いませんよ。ですが、出たらまた眠っていただきますけどね。嫌だと言ってもです」
 「……そいつぁ勘弁願いたいな」
 苦笑めいて言うと二人は揃って表へと出た。


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私は手が好きなようです。