▼こおりのきおく▼
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 悶々とした想いを抱えながら、サトーは簡易ベットに横たわり、天井を見上げていた。否、この場合天井と言うのは正しく無いであろう。サトーがいるのは四人部屋の船室。二段ベットは狭く、手を伸ばせば直ぐに手が届く。そして、サトーが横たわっているのは下段……即ち見上げているものは天井ではなく上段ベットの板である。この上に眠る者は居ない。と、いうよりこの部屋にはサトーの他には一名しか居なかった。その者はもう片方のベッドの、上段にて眠っている筈である。

 暫し、寝返りを打っていたが、やはりどうしても眠れず、結局サトーは起き上がることにした。ヒロを起こさないようにそっとカーテンを開け、靴を履く。夜の船室は狭く、暗い。小さな明かり窓から届くわずかな月光は頼りなく、部屋を照らすには不十分であったが、明かりなどに頼らずともサトーにはどこに何があるのかが大体判っていた。二つの二段ベットを挟んで、中央に在る椅子と、机に乗せ掛けてあった防寒着を着込み、部屋を出る。扉は静寂を破ることも無く、開いて、閉まった。

 甲板には、誰も居ない。

 「何を期待してんだか……」
 出る時に其処に居る気配を感じたのだから、此処に居る筈等無い。それでもなんとなく「居るのではないか」と期待してしまった自分に苦笑して、息を吐いた。息は白くなる。

 あれから、さらに三ヶ月が過ぎた。
 カーシャに行く上で冬服に身を包み、二人はどうにかして渡船に乗り込むことが出来た。船は小さな、漁船だった。

 商船くらい出ているだろうと思っていたのだが、全く出ていないらしい。と、いうよりも自分たちの乗っている漁船が兼、商船なのだと船乗りが笑って言った。

 「カーシャじゃア、取引になるものが殆ど無いんだワ。毛皮が基本。しかも、凶悪な獣やら、怪物どものナ。価値はあッから取引されッど、数が少ぇ。寒ィから飯も出来難ィ上に、そんな危ねェバケモノも多いと来ちょる。ンな場所に住まう好きモンは、殆ど居ねェサ。」

 そこで、男は細い目をますます細めて笑った。一瞬、見透かされたような感じをサトーは覚えたが、丸鼻に頬を赤く染めた男の顔は、何故か警戒心を抱かされない。男はにこにことサトーと、その向こうに居る、フードを被ったヒロを眺めて、話した。

 「そンでも世の中広ェから、変わった方はやッぱり居なさる。ンだから客室だッてきちぃーんと有る。豪華客船とまではいかねェが、値は安い。安全性だって保障するワ。小さいからって馬鹿にしちゃなんネ」
 頼む。と前金で幾許かを渡して、罰せられはしないのか――?と、こそり、と小さな声で訊ねた。男はそれでまた、愉快そうに笑って

 「国ン中を行き来するのに何の問題があッと?金もお支払いになっとるから問題無ェワ。」
 何せここは地方だから、国の政策にはとーんと疎くなっていかんわァ。かっか、と笑う男に、サトーも思わず笑みを浮かべた。

 大陸を統一しても、それで全てが助かるわけではない。統一される事によって、その場に留まることも侭ならない者たちが出て来る。だがその隙間を縫って、生きることの出来る体制がありもした。それは帝国にとって頭の痛い問題かも知れない。だが、住まうところを失ったことのあるサトーにとっては、そういった反勢力がどこか誇らしく、喜びに感じるのだった。

 ――生きてみせる。大丈夫。負けやしねェ――
 そんな言葉が、笑う男の口から出てくるようで。
 不屈の精神、と言おうか。性を超え、齢を越え、種族をこえ、全ての生きるものに通じる「生命力」を実感として感じる。それは、実に力強く、大きな励ましとなってサトーを支えた。

 ――私は、父様や姉様の跡を継いでみせる――
 日が暮れる。夜の帳。一日の終わり。切り立った崖から、今は亡き父の城を見つめる少女。背を伸ばし、胸を張り、自らの背はあろうかという程の、禍々しい大鎌をその手に持ち。
 呟いたその声は、掠れもせず、叫びもせず、怒りや悲しみを含むことも無く。ただ、自らの強い決意として、りん、と響いた。
 少女の顔は見えない。だが、どこまでも強く、純粋に、その志を貫こうとする少女の顔は。
 きっと、何ものにも代え難い程、美しいのだろう、と思った。

 「――――重症だ――――」
 思わず頭を抱え込む。一体幾つ離れていると思うんだ、おい、とも呟く。何だこのクソ生意気な小娘は、お高く留まりやがって。というのは、初めて出会ったときに抱いた印象だ。
 容姿はまぁ悪くないが、サトーからしてみればお子様である。それで魔族のお姫様なものだから、プライド高いわ、生意気だわ。有能な上に腕も立つものだから、これまた癪にさわる。その上頑固で、冷静そうに見えて実は気性が荒い。

 暴走して独断に突っ走った時など、それはもう大変だった。
 その被害を最も被ったのは軍師を務めたチクだろう。ヒロに対して説得を試みるが、暴れ馬に「どう、どう」などと優しく言っても無駄である。蹴り殺されないように説得役を交代してサトーが出る。
 説得、と言ってもやる事は怒鳴りあい、殴り合いである。はっきり言って「説得」というより「喧嘩」だ。自分の城だから流石に強力な呪文を使うことは無かったが、それでも部屋は半壊。という有様だった。だが、そうして気持ちを行動として爆発させる事で、落ち着きを取り戻すのだ。

 だがそうやって怪我をして、文字通り骨を折っても、全てが全てサトーたちの思う方に進むというわけではなかった。勿論、時にはそういうこともあったが、大抵は七対三の割合で、物事は進むのだった。七がヒロで、三がサトー達である。「一人一つの言い分くらいは聞いてやろう」と、こうくるわけだ。こんな我儘で凶暴なお姫様、はっきり言って願い下げだ。と、酒を交わしながら笑いあった記憶がある。
 だのに。

 そんな勝手な娘だからこそ、目が離せない。力があるせいか、自分でずんずん走っていってしまうフシがまた危うい。
 保護欲だ、と初めは思った。兄が妹を守りたがるような、父が娘を守りたがるような。ただ、それだけ。
 そう思って暫く押し込めていたのだが、彼女がジャドウに疵を負わせられ、抜け殻のような存在になった時に漸く気付いた。

 ――惚れた女ひとり、守れなくてどうする!?――

 小娘だろうが魔族だろうが姫様だろうが。
 好きなものは好きだ。大切だ。だから守りたい、とそう思う。
 そうして次に圧し掛かって来たのは、惚れた女を守れなかった自分への不甲斐なさである。ただ側にいることだけが、何も守ることではない。一刻も早く彼女を元に戻し、自分も腕を磨くこと。そして、次は必ず守り抜くこと。
 そう誓って、ヒロの元を一時離れた。

 戦う、という命をかけた行為は、自分にも彼女にも――どうやら良い方向に導いてくれたようだ。
 もしかしたら、それが性なのかもしれない。――戦いに生きるものの。

 果たして彼女は自分自身を取り戻した。そうして、目まぐるしい戦乱も終わり、後は――
 「根性無しめ……」
 どうしようも無い自分自身を、思わず罵る。

 戦乱が終わったら、彼女の休める時間もずっと多くなる。落ち着いたら想いを告げようと思っていたのだ。
 だが、戦乱が終わったのでハイ終わり、というわけには行かなかった。当然である。新しい国家の誕生には多くのエネルギーが必要とされる。てんてこまいの忙しさだ。
 それでも始めの1、2年で、大分落ち着きを取り戻した。それなのに、告げていないのは――。

 自分の想いが、他の人間にはバレバレだからだろう。

 そう思うとなんだかほんの少し、泣けてきた。
 実際、始めて会ったシンバ(尤もあの少年はやたらと動物的勘が鋭かったので特別なのかも知れないが)に一目で見抜かれたし、その言葉で側にいたソルティにも見事にバレた。(若しかしたら既に気付かれていたのかも知れないが)どこからどう伝わったのか、大蛇丸からもからかわれた。(彼の場合色恋沙汰が得意なので自分で知ったのかもしれないが)近くに居る不如帰にもきっと酒の肴として話をしているであろう。
 冷静に考えたら、ひとりの男が女を四年も守り通して各地を転々とするという行為だけで、そうとられて当然なのかも知れない。
 そうして、それが間違っていないだけに泣けてくる。

 そんな中、彼女だけは変わらない。以前と同じようにサトーと接し、以前と同じようにサトーに命じる。
 知らぬふりをしているのか。それとも真に気付いていないのか。気付かぬふりをしているのなら、それは何故か。自分の事が、嫌いなのか――。
 悶々と、そんなことを考えてしまう。当たって砕けろと人は言うが、それでもなかなか砕けられないのがひとというものである。

 (女々しい)
 と、酒を飲みながら笑って言ったのは大蛇丸である。自分でも、確かに女々しいものだと苦笑した。
 (けれどもいつまでも、このままじゃあ居れないぜ?)
 サトーに酒を注いでやりながら、金の瞳でちらりと睨んだ。
 (――ああ、そうだな――)

 「いつまでも、このままじゃいられないな」
 空の闇が僅かに明るみを増し始めていた。少しずつ、光は真っ白な流氷を照らし出し、島が刻一刻と近づいていることを確かに告げていた。
 残された時間は、もう無いのだ。
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