永望





 鈴魚がいなくなって一刻(約2時間)ほど、シローが探しに出て半刻ほど過ぎたころ。
 そろそろ日が傾いて遠くの山の向こうに落ちかける夕刻だ。
 太陽は日中とうってかわり、まぶしいほどの白い光ではなく、鮮やかな橙の光を照らし出している。あたりにあるもの全て、輝かんばかりの炎の色。反対側の空はだんだん深い藍色に染まり上がり、山々の影になっている部分も濃い藍色だ。
 「む。そろそろ帰らねばならんかのう。日が落ちてしまってからでは蓮撃が尚更うるさいし…」
 炎の色の中に己の姿をさらしながら、鈴魚はあの怒るととんでもなく怖くて喧しい大老の事を思い出す。
 それにしても今日はいつもよりも遠くまできた。
一緒に遊ぶ相手がいないものだから、山の探索に費やしたのだ。その成果は上々で、知らない花々や動物達をみかけ、遊ぶにはもってこいの場所も見つけた。ついでに隠れ家に出来そうな所も見つけたので、今度シローをつれて本格的につくってみようか。などと考える。
 と。
 「…あや?」
 おもわず首をかしげる。
 「…どっちから来たんじゃったかのう…」
 山道を歩いている途中の別れ道まで来た時だ。どっちから来たのだか、すっぽりと記憶が抜けている。
 山の中は平原と違い、木々が多くあるため太陽の残光は木々に遮られ、山道は思った以上に暗い。そのせいもあり、道は昼間見た時とは違う風にみえてしまう。
 「うーん……」
 腕を組んで考えてみる。確か左だった気がするのだが、でもしかし右だったような気もする。
 遠くの方で獣の遠吠えが聞こえた。
 近くで鳥が鳴き、梢を揺らしたて飛び立つ羽音が聞こえる。
 ますます深まる藍色の空。
 「……」
 普通ならば鈴魚と同じ歳頃の少女ならば怯えて竦みだすものだが。
 「…よし、左じゃ!」
 鈴魚は、びし、と左を指さしてたかたかと何事もないかのように歩きだした。


 それからしばらく歩いていく。そうしている間に、日はどんどん沈んでゆき、山の中に日は射し込まなくなってゆく。
そこここで獣の気配。獣は人間の気配があると近寄らないものが多いが、狩猟を目的とするものや攻撃的な種は逆にそっと忍びよってきて襲いかかる。
周りに感じている気配は後者の方だ。
 「……」
 鈴魚はだっと駆け出した。
 そこそこの数ならば相手にしても問題はなかった。だが、相手は獣で、人間と違い、集団での連携が非常に卓越しており、なにより素早い。
 ならば逃げるが勝ちである。
 逃げると獣はおってくる習性ではあるが、その場に立ち止まっていたら尚更襲われる。ならば、ここは己の俊敏さにものをいわせるしかない。襲われたらとにかく片っ端から殴り倒す。
 案の定、獣はおってきた。
 「…くっ!」
 がさがさ!と草が勢いよくなる。
 鈴魚は桜色の袴が汚れるのもかまわず走りぬける。こんなことなら馬をつれてくればよかったか。考えていてもあとの祭なのでともかく走り続ける。生い茂る草葉やのびている枝にかすり切り傷をつけながらも走った。
だが獣の足は人間のそれ以上だ。
 「っ!」
 その瞬間、横から獣が牙を向き飛びだしてきた。そのしなやかな筋肉と脚力を使い鈴魚に襲いかかる。が。
 「邪魔じゃ!!」
 何処からとりだしたのか、戦闘時にはいつも持っている愛用の特大な鈴(いったい何で出来てるんだ)を手に持ち、その襲いかかる獣の横っ面を思い切り殴りとばした。
獣は甲高い鳴き声をあげてあわてて逃げるように草叢の中に消えた。
 鈴魚は両手にそれを構えて、再び走り出す。
 それでも他の獣が襲いかかって来るのでその度に殴りとばす。なまじ攻撃力が有るものだから獣もひとたまりもない。それでも走りながら殴りとばしながらなので、流石に疲労してくる。そうすると、不安とともにだんだんとある事に苛立ちがわいてきた。
そんな鈴魚にまた獣が襲いかかる。が。
 「〜〜〜〜〜〜っシロちゃんの大馬鹿者ーーーーーーー!!!」
 一斉に鳥達がけたたましい鳴き声をあげて飛び出した。
 鈴魚は叫びながらおもいっきり獣を苛立ちをこめて殴りとばした。
 「さっさと探しにこぬか!!何をやっておるのじゃー!!!」
 自分一人で城を抜け出した事を棚にあげて鈴魚はわめいた。すると、
 「は、はいっ!すみません!!」
 突如として声が降ってきた。
その怒鳴り声を聞き付けたのか、木々の上からシローが飛び降りてきたのだ。
よほど慌てたらしく、肌がみえている部分はすっかり切り傷だらけだ。
 いきなり現れたシローに鈴魚はおもわず目を見張り、ほっとしたような顔をしたが、すぐにきっと眉を吊り上げる。
 「…遅い!!何をしておったのじゃ!!」
 「す、すみません!」
 鈴魚の剣幕にシローは恐縮しきって縮こまる。蓮撃も怖いが、己の主君の激昂も怖い。
 そんな小さな主従のやりとりをのんびり獣達が眺めている訳でもなく。
 「!シロちゃん!」
 一匹の獣がシローの背後から飛びかかってきた。
 瞬間、情けなく子犬のような表情が一変、あどけなさが残る面手が鋭くかわり、片足を軸に体を半回転させ勢いをつけ、思い切り蹴りを食らわせた。その細い体にみあわずの攻撃に獣は横へふっとばされ、ひび割れたような鳴き声をあげて逃げ出した。
 「これは…」
 周りの気配をうかがう。獣達は遠巻きにこちらを見ている。数が多い。どうやら彼らの縄張りに入りこんでしまってたようだ。獣は自分達の領域を侵す者には容赦がない。
 「…シロちゃん、ちょっと…まずくはないか?」
 流石の鈴魚も少し不安げにシローの服を掴む。
 だが、シローはにこりと笑う。
 「大丈夫ですよ。相手が獣なら、これで追い返せるはずですから」
 そういって呪印を結ぶ。そうして何事か口の中で呟いてから、その手を前に大きく振りかざした。
 「炎よ!」
 瞬間、ぼっ、とシローの手が燃え出した。だがそれはシロー自身を焼く事なく、ただ松明のように燃え上がる。あたりが炎の色で染め上げられ、照らしだされる。すると。
 「…あ…」
 獣達がひくくうなりながら、後ずさりをしはじめた。
 「獣達は火には弱いですから。こうしていれば寄ってこれないはずです」
 なるほどである。
 おお、といいながらぽんと手を叩く。
 だが、そこで安心した瞬間、鈴魚ははっとなって再びシローをにらみあげる。
 「シロちゃん!いったい何をしておったのじゃ!!予がこんなに傷をつくって獣と戦っておったと言うのに、来るのが遅いではないか!!」
 ちなみに鈴魚が獣につけられた傷は1つもないが。
 「す、すみません、本当に申し訳ありません。まさかこんな遠くまできてるとは…」
 だがシローは本当に申し訳なさそうに頭を下げる。
 「まったく、もうシロちゃんなんか知らぬ!」
 ぷいと頬をふくらませながら鈴魚はそっぽを向いた。
 「そ、そんなぁ…」
 またもや情けない声をシローはあげた。
 「早く城に帰るぞ!」
 肩を怒らせながら鈴魚はずんずんと歩き出した。
 「あ、ま、まってくださいよ!そんな一人で歩いていったら…!」
 あわててそのあとをおいかける。
 その時だ。
 「姫様!!」
 シローが叫んだ。何事かと苛立たしい表情のまま鈴魚がふりかえると、いきなりシローが自分を抱きかかえて横っ飛びにとんだ。次の瞬間、今まで鈴魚が立っていたところにカカッ!と数本のクナイが降り注いだ。
 「!?」
 どさりと地面に倒れたが、すぐさま起き上がる。鈴魚が状況を飲みこめないでいる間にシローは己の武器を構え、鈴魚を自分の後ろへと隠すようにした。
 「な、何事じゃ!いったい何が…!」
 シローの肩を掴み、後ろからその横顔を覗き込む。
 「敵です!」
 短く的確な言葉を、シローは低く鈴魚に呟いた。
 


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