永望





 闇色がすっかり濃くなってきた山道を疾走する。
 「シロちゃんの馬鹿者馬鹿者馬鹿者馬鹿者馬鹿者!!!」
 ぜぃぜぃと呼吸を荒げながらも、何度も何度も恨みがましく、そして酷く痛いたしく鈴魚は言葉にする。苦しいのならば言わなければいいのに、それでももう一度息を飲みこみ。
 「シロちゃんの大馬鹿者!!!!」
 叫んだ。
 小さい頃から一緒で、年も近くて、共に遊んでいて楽しかった。情けない声で自分を引きとめながらも結局はついてきてくれて。
自分より弱いし頼りないし情けないしびくびくおどおどしていて本当に男らしくない。
だけれどそのくせ、真面目で妙なところで頑固で。

 腹が立つ。

 戻ってきたら絶対一発殴ってやる。

 そう強く思って鈴魚はさらにはしった。
 ふと。
 喉に鉄の味を感じはじめたころ。馬のひずめの音が前方から聞こえてきた。そうして視線をそちらに向ければ見なれた老将が馬から降りて、こちらに向かって駈けて来た。
 「…姫…!!!」
 やっと探し当てた宝物を目にした時のように、老将は感極まった声を上げた。
 「蓮撃!!」
 鈴魚も、その老将の姿を目に見とめて、驚きの表情を作ったのち、再び息を飲みこんでさらに加速をつけた。
 「蓮撃ーーーーー!!!」
 「姫!」
 立ち止まり、両の手を大きく広げ僅かに屈みこんだ大老の懐めがけて、鈴魚はその小さな体ごと抱きついた。
 「姫、姫、姫…っ、ああよくぞご無事で、よくぞ…」
 年を経てから涙脆くなったのか、蓮撃は目尻に涙をにじませながら安堵を全身であらわして、その懐の幼子を愛しく抱きしめた。
 だが、鈴魚はその懐の暖かさに同じように安堵するやいなや、がばりと顔をあげ、蓮撃の着物をその白い手でつかんだ。
 「蓮撃、蓮撃!!大変なのじゃ、シロちゃんが、シロちゃんが!!」
 息せき切って声を荒げるが、感情の方が先走って思うように言葉に出来ない。
 「変な奴等が現れおって、予を逃がす為にシロちゃんが!!」
 黒装束の、『敵』。シローは自分より弱い弱いといっても、それでも忍びの修行をちゃんと積んだ者だ。そこいらの者においそれと負けはしない。
だが、それでも1対2だ。おまけに年嵩の男の方は相当の場馴れをしているようだった。
 「は、早く助けにいくのじゃ!蓮撃、早く!!」
 急かす様に乞う様に、鈴魚は叫ぶ。いつもは愛くるしいその表情が泣きそうに歪んでいる。
 「姫、落ちついて下され、姫」
 「落ちついてなどおれるか!!シロちゃんが大変なのじゃぞ!!シロちゃんの馬鹿者、予が一緒に戦って倒せばいいと言ったのに!!シロちゃんの大馬鹿者!!」
 何度そういったかわからぬほどのその言葉に、さらに回数を追加した。
 だが蓮撃はそんな鈴魚とは反対に落ちついた様子で彼女に言う。
 「姫、それは違いますぞ」
 「何?」
 「シローは臣下として、当然の行動をとったまでです。主を守るのは臣下の努め。ましてや、シローは忍びでございます。その意味も、姫もご存知でしょう」
 「……」

 忍びは主の為ならば、己が命さえ厭わぬようにと育てられている者。


 まるで、人形のように。


 …でも。だけど。
 「…だが、そうじゃが、シロちゃんは予の友達じゃ!!だから、助けにいくのじゃ!!」
 忍びが例えどんなものであっても、その前に、あのくすんだ緑の髪の少年は、自分の友達なのだ。野山を駈けまわり、知らない花や動物達を見て、川で遊び、一緒に草の海で寝転ぶ。
 ただ、その相手を、ただ、助けたいとおもうのだ。
 「……」
 蓮撃はそんな鈴魚を見ながら、そっと心で喜びを覚える。
 ああ、この方もまた、真っ直ぐに生きておられる。
 あの金と黒の髪を持つ、金の瞳の己の主。
 そうしてその血を受け継ぐ幼き姫君。
 何よりも愛しい、己が守る者達。
 「…わかっております。すぐに参りましょう。ですが、姫はこのまま城へ戻られてください」
 「何でじゃ!!」
 「その者達の目的が姫で、シローは姫を守る為に残っておるのでしょう。ならば、姫は戻るべきではございません」
 「な…っ」
 はっきりと断言された言葉に、鈴魚は声を失う。
 「私が参りますゆえ、姫は城にお戻りを」
 「い、いやじゃ!!」
 だが鈴魚は負けじと拒絶する。
 「姫!」
 「嫌じゃと言ったらいやじゃ!!シロちゃんを助けるのじゃ!」
 「なりませぬ!!!」
 「!!」
 雷のような怒号が頭の上から降り落ちた。思わず、その声にびくりと身をすくませ、鈴魚は恐々と蓮撃をみあげた。
 「…なりませぬ。どうか、このままお戻りを。すぐそこまで他の者も来ておりますゆえ」
 「……蓮撃」
 酷く静かな声で、蓮撃は繰り返した。それは静かなのに、とても重く心に響いた。これ以上の言葉を許されないような、そんな声音。
 「……わかった」
 深い琥珀の瞳がみあげた大老の顔は、闇色に彩られ、よくみえなかった。それでも、体を包む空気が違う事が肌で感じられる。
鈴魚は項垂れて、ぽつりと、ようやくそれだけ、呟いた。
 


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