既に日は落ちた。 山の際だけが、それでもほんのりと明るく橙にそまっている。空は深い紫から蒼へ。だんだん薄くなってそして山際の橙へと姿を変えている。 鈴魚は迎えに来た城の者達に連れられ、帰路へとついていた。 何度も何度も、闇色に塗りつぶされた山を振り返りながら。 「ちぃっ!」 年若い男が苛立たしげに舌打ちをする。腕に突き刺さったクナイを強引に抜き取り、傷口に口付け、血を吸い出してはきすてる。 「童子だと思って油断するからだ。阿呆が」 かえして冷ややかに年嵩の男が告げる。 「うるせぇな!」 その苛立たしさを年嵩の男にぶつけるように怒鳴る。 「……っ」 そんなやり取りを、呼吸を荒く乱しながらも、己の両の足で何とか立ったままでシローは聞いていた。 同時に、視線はそのままで己のもつ武器の確認と己の身体状態を確認する。 片手にクナイ。腰の鞄にはまきびしと十字手裏剣。それと煙幕弾が一つ。 手加減なしに何度も殴られたりしたので体のあちこちが痛い。だが刃物による攻撃は紙一重で何とかかわしているため、血は酷いが傷自体はたいした事はない。 大丈夫。まだいける。 一度ちらりと意識を後方へ向ける。 …姫様はもう蓮撃様達とあえただろうな。 そう思った時。 「余所見するなんざ余裕があるじゃねぇか、餓鬼ぃ!!」 「!!」 声と同時に年若い男が猛然と突っ込んで来た。反応が遅れ、シローはそれでもなんとか腕を交差して、繰り出された拳をふせいだ。 しかし体はそれを受けとめる状態になっておらず、まともに衝撃がつたわる。 「ぐぅっ!!」 歯を噛み締め、声をくぐもらせる。衝撃で常体が浮き上がり、そのままふっ飛んで地面に叩きつけられた。 「が…っ!」 背中から激しく打ちつけたため、一瞬呼吸が止まる。 「おらぁ!!」 倒れこんだシローに追い打ちをかけるように再び拳が飛んでくる。痛みに意識が拡散しているが、シローはまた寸でで体をひねってそれをかわす。拳が地面に叩きつけられ大きくえぐる。 忍者特有の素早さをいかし、シローは低い姿勢のまままるで獣のように地面を両手両足で蹴り、離れた所に土埃を上げて着地する。 「こいつ、ちょこまかとうざってぇ!!」 土をえぐった拳をかまえ、年若いの男はシローに向き直る。 シローは口元をおさえ、ぐいと拭うと腕にかすれたように血がついた。口の中を己の歯で切ったのだろうか。 「…このままでは埒(らち)があかぬか」 年嵩の男が呆れたため息と共に呟く。 「ここはお前に任せるぞ。いい加減あの姫君を追わぬとあとが厄介だ」 「うるせぇな!とっとと行きやがれ!!」 「!!!」 いわれてシローははっとなる。幾ら蓮撃達と合流したといっても小人数だ。いきなり奇襲されたら、幾ら何でも危ない。 「行かせない!!」 動きだそうとした年嵩の男めがけてシローは襲いかかった。 「ふん」 クナイを振り上げ男に繰り出すが、男はその振りだされた腕をすっと流れるように横から掴むと、ぐいと引っ張った。 「?!」 状態が崩れた瞬間、腹に男の手の平があてられる。まずい、と思った刹那、激しい衝撃が腹にえぐりこまれるように叩き込まれた。 「………っ…ぁ…っ!」 ほぼ声にならない。 気功弾のようなものが間近に直に叩き込まれたのだ。 どぉっ!!とまたもや地面に叩きつけられ、シローは何度か痙攣をして、がばりと腹を抱える。 「ぐ…が…ぅ…っ!!!」 横向きになってうずくまったかとおもうと、強く咳き込んで、血をはきだした。 何度も何度も咳き込み、目を見開いて涙が出てくる。涙と吐きだされた血で顔が、こすりつけていた地面の土が泥となり、汚れる。 「あばらと内臓がいかれたはずだ。しばらくは動けぬだろう」 淡々と年嵩の男は言う。 「いくぞ」 シローに背を向け年若い男に声をかける。年若い男は、苦虫を噛み潰したかのような顔で年嵩の男を睨む。 「つまらん意地に捕まっていたら足元をすくわれるだけだ」 その視線を受けたが、あくまで冷ややかに言いかえす。 仕留めきれなかった獲物を、あっさりと一撃で仕留められたのがよほど悔しいらしい。だが、だからと言ってそれにこだわっていては仕事は遂行出来ない。 「…ちっ」 舌打ちをし、うずくまるシローをみる。 「今回、我々の仕事の最優先はあの姫だ。いくぞ」 「…わかったよ!」 吐き捨てるように声を荒げる。 「……っ」 痛みと衝撃のせいで意識が朦朧とする。 だがそれでも二人が行ってしまう事を意識のはしで受け止める。 駄目だ。 いかせては駄目だ。 延々とそれだけが頭の中で強く響く。 いかせては。 姫が。 姫様が。 地面に手をつく。 腹を抱えたまま、片腕だけで上体を起こす。 腕が、ぎりぎりと音がしそうだ。がくがくと小刻みに震える。 歯を噛み締め、舌で血の味を感じながら、引き剥がすように体をもち上げる。 姫様を。 守らなきゃ。 あの破天荒な姫。 元気で突拍子もなくてわがままで。 だけどとても自由で、優しい。 己が守ると幼き日に決めたあの姫を。 「……」 くすんだ緑の髪を泥と血でそめた少年忍者が起き上がる。 その様を、歩み去ろうとした二人は立ち止まりみた。 「…まだあがくか。童子」 手負いの獣が一番危険だ。と言う言葉を聞く。 だが相手はまだ成人もしてぬ童子。 しかし何だろうか。この違和感。 「…いか…せ、ない…っ」 血がのどにからまったままで唸るようにシローが言う。一度、咳き込んで喉に溜った血を吐き出した。 「いかせ…ない…っ!」 ふらふらとおぼつかないが、片足をつき、片膝をつき、顔を二人へと向ける。 「……!」 闇色で染まる山道。 その中で、爛と光る、赫い、瞳。 赫。 瞬時、年嵩の男が身構える。 ごう、とあたりが生暖かい風にふきさらされる。 「…な…?」 異様な雰囲気。年若い男も肌で異常を感じとる。 「…姫…様の所…に…」 シローの腕から炎が立つ。 幼い頃から自在に操れる焔。何故己に使えるのかと師匠に問いてみれば、昔からたまにそういう四源の力を使える者がいるのだと言われた。 腕の鎖のような痣。 これも不思議だった。 だが誰に聞いてもわからぬと言われた。 まるでそれは、何かを封印するかのような、呪詛。 だが今はそんな事どうでもいい。 ただ、今はあの姫を。 「………いかせて…っ!!」 ぎっと顔を上げ二人を強く睨む。 あたりが膨れ上がるような熱気につつまれる。 腕の鎖のような痣が紅く紅く、うなるように光を発したその時だ。 「シロー!!!!!」 「!!!!」 突如、まるで雷のような怒号があたりに響きわたる。 シローに気をとられていた二人がすぐさまふりかえれば。そこには。 「……蓮…」 隻眼の、年老いながらも今だ衰えぬ剣気をもった、老将。 老将は腰の刀を引きぬくと、すばやく二人に向かって構えた。 「せやあぁああっ!!」 轟!!と、剣風がまきおこる。衝撃波が突如として二人に襲いかかった。 「ぐぅっ!」 僅かに慌てて、二人はそれをかわす。土埃がまいあがり、木々をゆらす。 おさまってみれば老将の姿はそこになく。 「!」 振りかえった先、幼き忍びの元にその姿があった。 「…蓮…撃、様…?」 己よりも遥かに大きい老将をみあげる。蓮撃は厳しい表情のままでこちらを見下ろしていた。 「…姫様は…」 「…安心しろ。他の者に託しており、すでにもう城への帰路についているはずだ」 一番気にかかっていた事を問いてみれば、かえってきたのはもっとも安堵できる答え。 「……よか…っ」 その答えを受け取ったシローは安堵に表情を歪めた。そして、安心しきったのか、ふっと、体が崩れおちた。崩れ落ちた所で、蓮撃がその小さな細い体を抱きとめる。 あたりを包んでいた熱気が、急速にしぼむようにひいていった。 BACK NEXT 小説トップへ。 |