桜雪 |
空高く、鳥が鳴く。 戦が、はじまる。 「・・・・・・・」 不如帰は、敵軍の将と対峙していた。 月夜の空のような深い蒼の髪を簡素に後ろで結い、ムロマチの装束を身に纏った盲目の男。 刀を腰に携え、纏う空気は鋭いが荒々しくはなく、ただ、水のように静謐だ。 「・・・・・・・・・」 不如帰は、その男を感情を隠した青紫の瞳でみつめる。 そうして静かにクナイを構える。 わずかに、唇を噛み締める。 その時、男がひどく透る音で声を上げる。 「・・・私はホーンハル国防軍の一が将、桜水と申す!名のられよ!ムロマチの将よ!!」 「・・・・・・・」 記憶の中よりも低いが、とても透る声。 昔、患った病により視力を失ったその瞳。何もうつしはしないが、顔はこちらをしっかりととらえていた。 不如帰は眉を顰める。 そうして小さく息を吐き、顔を上げる。忍びになのる名などないが、名のられ、それに答えないのは礼儀に反するものだ。 「・・・・私はムロマチ軍、一が将、不如帰!・・・余計な言葉は不要!いざ、参られよ!!」 その声は春の空に遠く響き渡る。 「・・・・不如帰・・・・」 桜水はその名を口の中で繰り返し呟いた。 「・・・・・・」 再び不如帰はクナイを構える。 不如帰。 それは死告げ鳥の異名を持つ。 忍びはけして本名はあかさない。 名を知られるというだけでもかなりの情報が漏れる事となるからだ。 だから「不如帰」は、あとからもらった名前。仮の字名。 本当の名を、愛しげに昔、呼んでくれたのは家族と一人の男。 ・・・・今では本当の名を呼ぶものはいない。 「・・・不如帰、か。・・・では、いざ」 「─────────」 ひゅ、と、とたんに空気がかわる。 瞬時に鋭く裂かれるような空気。圧倒されるような重圧感。 剣気。 「──────推して参る!」 「!!」 がきん!!と衝撃がはしり、剣花が散る。 一瞬にして間合いに入りこまれた。横なぎに斬りこまれた刀の刃を寸ででクナイで防ぐ。 わぁあああっ!!と、その斬りこみと同時に周りの兵達も一斉に襲いかかってきた。 拓けた平地。 地の利はどちらか。 「ぐ・・・ぅっ!!」 がりがりと刃のこすれる音。不如帰は歯を食いしばり、その刃を弾き飛ばさず、横へとはらう。抵抗するものがなくなり、横へとはらわれたせいで自然と体が前へと流れるが、それを見越してか、桜水は前方に足を踏み出し、体制をすぐさま整え、そのまま返し刃で再び斬りつける。 きぃん!!と、再び甲高く剣花。 まともに組み合わないよう、不如帰は素早く後方へと逃れる。 「・・・・・っ」 素早い。本当に目が見えていないのだろうかと疑うほどに。 研ぎ澄まされた、その手に持つ刃のような鋭い感性。 「せやあぁあっ!!!」 再び斬りこんできた桜水の刃を紙一重でかわす。わずかにかすめた髪先がきられ、ちらちらと舞い散る。 風圧が薄皮を切り裂く。ぴっと、その白い頬に横一文字に血の糸が引かれる。 「どうした、かわしてばかりでは埒(らち)があかぬだろう!!かかってこい!」 じゃり、と地を踏みしめ、不如帰の方へと向き直る。不如帰は頬の血を軽く拳でぬぐうと、それをちろりと舐めた。 「・・・・・・・・」 真っ向から向かえば、自分に勝ち目はない。 さすがにあの月心の弟子であり、大蛇丸と競い合っただけの事はある。 その太刀筋は、大蛇丸とやはり少し似てはいるが、どちらかといえば桜水の方が怜悧で洗練された印象を感じる。大蛇丸のそれは猛々しく、一種の獣のようだ。しなやかで荒々しい、「生」をまざまざと感じるモノ。 「はぁあああっ!!」 ぐ、と足に力をこめ、瞬時に弾かれるように走り出す。風に烏の濡れ羽色の髪がなびく。 「─────────」 小さく短く息を飲み、刀を持つ手に力をこめる。 ひゅん、と前方から突っ込んできた不如帰の姿が消える。だが、それに驚きもせずに構えていた刀を後ろ上方へとやる。刹那、がきぃん!!と衝撃が走る。消えた不如帰が後方上空から唐竹にクナイを振り下ろしてきていた。 防がれたが、今度は反対の手に持ったクナイをそのまま桜水の背中めがけてえぐりこむ。しかしそれは素早く体をひねられ寸ででかわされた。 「くっ!」 攻撃の手を休めず、立て続けに、そのクナイを袈裟懸けに斬りつける。 「甘い!!」 そういったかと思うと、きぃん!と音をたて、不如帰の右手からクナイが弾き飛ばされた。 忍びである自分よりも素早いその動きに一瞬声を失う。その隙をのがさず、桜水は反対の獲物も弾き飛ばした。 「・・・・・・っ!!!!」 はっとなった時はすでに遅かった。 磨きぬかれた刃毀れ一つ、くもりすらない刀の切っ先が己の喉に突き立てられていた。 「・・・・・・・・・・」 しばらく、お互いを見る。 正確には、桜水は目が見えぬが、確かに顔は不如帰の方をとらえていた。 「・・・・殺せ」 静かに不如帰が呟く。 「・・・・・・・」 桜水は黙っている。 足掻けばまだ活路はあるかもしれない。 だが、桜水の気配は、それを凌駕し、隙を見せず。ここで下手に足掻いてもまっているのは確実な死だろう。 あきらめ、ではない。 ただ、みっともなく足掻く意味を為さぬと判断したからだ。 どんなにもがこうが、足掻こうが、桜水の切っ先からは逃れられぬと、冴え冴えと頭の中でそんな声が聞こえる。長年培われた、影に生きるものとしての。 ふと。 桜水が光のともらない瞳で不如帰を見る。 「・・・・不如帰・・・」 小さく呟かれる彼女の名。 「・・・今は・・・『不如帰』なのだな・・・」 「・・・・・・・!!!!」 ぽつりと低く発せられた言葉は、不如帰の耳にもとどく。 その呟かれた言葉の意味は、ただ一人にしかわからない。そうしてその意味を賢しく悟る、ただ一人の女は息をのむ。 気づいて、いるのか。 男と別れたのは本当に幼いころ。 男は剣の修行に。己はそのまま里にのこり、闇に住まう者としての腕を磨いた。 男とはそれきりだ。 光を失っていて、そうして年月のおかげで成長した自分を、昔の自分しか知らない男が、気がつくはずがない。 だのに。 「・・・・綺麗な名をもらったのだな」 「─────────」 死告げ鳥の異名を持つ鳥の名。 ばさり。 大きな羽音。 すぐ近くで鳴り、ふ、と桜水がそちらに耳を傾ける。 刹那。 「・・・・・・・っ!!!!」 懐に隠しもっている千本を素早くとりだし、それで刀の切っ先を払いのける。そのまま獣のようにしなやかに身を翻し、不如帰は桜水の間合いから逃れた。 「・・・・くっ!」 完全な油断である。 不如帰は間合いの外へ逃れ、体制を立て直す。片膝と片手をついたまま、桜水をみやる。 「・・・魂を迎える鳥の名が、綺麗なのか?」 「・・・・・・・」 そういうと、不如帰は素早く印を結び、呪を唱えだした。 「!」 空気がかわる。震えはじめる。 何をしようとしているのかわからないが、何かとてつもない事をしようとしているのはわかる。ぞくりと背中に寒気を感じ、本能か、桜水は刀を構える。 危険だと、止めなければと。頭の中でまるで警報が鳴るかのように警告している。 ぐ、と剣の柄を握り締める。 「・・・・・剣魔、連斬!!!」 轟!!!と鋭い振りから生まれる剣圧が、真空波となって連続で不如帰に襲いかかる。 だが、それをよけもせずに不如帰は呪を唱えつづける。 真空の風が、不如帰のすぐわきを切り裂き吹き抜ける。しかし、その余波は確実に不如帰の肉体を何箇所も切り裂いて行く。切り裂かれた肌から、血が流れ、風に巻き上げられ、まるで紅玉のように散る。 烏の濡れ羽色の髪を結っていた紐がきれ、その豊かな髪がおちる。おなじように風に舞いとられ、絹糸のようにたなびく。 「─────────!」 ぴり、と肌を刺す強い気配。 ざぁあっと、風が強く鳴り、周りの木々を折れんばかりに鳴らし、一斉に鳥達が飛びたつ。土ぼこりを舞い上げ、視界が霞む。 不如帰の手が、最後の印を結び、口の中で唱えられていた呪が、最後の音を奏でる。 一瞬、周りの音が消える。 「────裏奥義!!阿修羅陣!!!!」 瞬間。 敵陣が刃に飲まれた。 小説トップへ。 |