桜雪 |
─────こわいよ、あにうえ。 夜の桜を見上げて少女が言った。 ─────大丈夫だ。俺が一緒にいるから。 そういってその小さな手を優しく握ってやった。 桜には魔力が宿る。 昔から何人も魅入られ、引きつけてやまない薄紅の花。 家の近くにあった見事な巨木の桜。 月の綺麗な夜。 風にゆられ、まるで雪のようにちる花びら。 その様は幻想的で、うつくしく、魅入られてしまうほどに。 だが少女はこわいといった。 魔力のこもる木。 「桜の木の下には死体がうまっているよ。」 最初にそういったのは誰なのだろう。 「・・・・・・・・」 ふ、と気がつく。 気配を探ってみる。 それよりも先に、己がどうなっているのかを悟る。 春の日差しに暖められた大地は、今は兵士達や馬の脚で踏み荒らされている。刀や槍でえぐられたあとや、そこここには兵士達が倒れこんでいる。 うめき声を上げているものもいれば、すでに言葉を発しない者達もいる。 大地が、赤黒く染め上がっていた。 「・・・・・・」 そうして、己はその大地に仰向けに倒れていた。 きっと眼前には広く高い空が広がっていよう。 倒れている桜水の喉元に、何かの切っ先が突きつけられる。 「・・・形勢、逆転か」 ぽつりと呟く。 周りには何人かの気配を感じるものの、戦えそうな気配は感じない。 「・・・・・・」 桜水を見下ろすように、不如帰が刃を喉につきたてている。その表情は髪に隠れてよくみえない。 「・・・どうした」 「・・・・・・・」 「・・・殺さぬのか」 「・・・・・・・」 桜水の言葉に不如帰は答えない。 「・・・お前が先ほど死を覚悟したように、私もまた、この地にたつ以上死のやりとりをしている。命運が尽きればそこまでだ。・・・惨めに命乞いなどせん」 仰向けのまま、その喉に刃をつきたてられたまま、桜水は淡々と語る。まるで、自分の事ではないかのように。 「・・・どうした、『不如帰』」 なんの反応も見せぬ彼女の名を、静かに呼ぶ。 「・・・・・・・・・・っ」 すると不如帰は、ぎ、と歯を噛み締める。 「・・・一つ、・・・・聞かせてもらおう」 だが、すぐに小さく息を吐き、かすれる声で零すように言った。 「何故・・・あの時。あんな事を言った」 「・・・・・・・・・」 「・・・お前は・・・貴方は!・・・いつから、気がついていた・・・・・っ!!」 『・・・不如帰・・・』 『・・・今は・・・『不如帰』なのだな・・・』 その言葉の意味。 それは、彼女の過去を知っているという事。 「・・・・・・・・」 桜水は答えない。 「何故・・・・何故!すぐに殺さなかった!情けをかけたつもりか?!」 「・・・・・・」 「相手が誰であろうと、そんなものはこの戦場においては不要だと、貴方もわかっているだろう!!」 「・・・・・・」 「あんな事を言わずに・・・私を殺してくれれば・・・私は・・・私は・・・!!」 「・・・・・・」 ああ。嫌だ。 自分の中にはこんなにも、生易しい甘さが残っているのか。 こんなモノがなければ、自分は。 たとえ、誰が相手であろうともこんなに苦しまないのに。 だけれど、その甘さを手放したくない自分が、確かに存在する。 忍びに心はいらないのに。 だのに。 不如帰は桜水の胸倉をぐっと掴んで、引き上げる。自然、体が少し浮かされ、でも桜水は黙ったままでいる。うつむき、歯を食いしばり、何かを堪えているようなのは、眼のみえない桜水でもわかる。 「・・・何を躊躇(ためら)う必要がある」 「・・・・・」 「今からでも遅くはない。・・・殺すがいい」 ざっと、血の気がひいたように全身が凍りついた。 何もいわず、答えず、ただ、自分を殺せと。 「・・・・・っに・・・・・う・・・え・・・・・っ!!!!」 堪えきれないように、不如帰がかすれた叫びを上げる。 「・・・殺すがいい。私は・・・今も昔も・・・お前にとって、酷い男でしか・・・ない」 幼い自分の小さな手を優しく、しっかりと握ってくれた、あの大きな暖かい手。 それを持つのは、眼の前にいる、この、男で。 「・・・殺すがいい、・・・・『 』」 「・・・・・っ!!!!」 今では呼ばれる事のない、本当の名前。 それを記憶の中よりも低い声で、でも、酷く愛おしげに呟かれ。 息を飲み、それが喉に焼きつくようにひきつく。 胸が気持ちの悪いほどに熱くて、肺を焼きそうだ。枯れ果てたはずの、熱い雫が、その深い深い月のない星空のような青紫色の瞳からはらはらと零れ落ちる。 ぎ、と唇を血が滲むほどにまで噛み締め、不如帰は刃を振りあげた。 ─────桜の花は元々、真っ白なんだそうだ。 ─────だけれど、その桜の木の下に眠る死体から、血を吸っているから、綺麗な眩むほどの薄紅の花をさかすのだそうだ。 ─────だから、桜はあんなにも美しく、魔力を秘めているのだそうだ。 その話を聞いたあと、怖くて怖くて、桜がみれなった。 だけど。 「大丈夫だ。俺が一緒にいるから」 優しい暖かな大きな手。 何よりも大好きだった、ただ一人の、自分の。 ![]() ![]() 小説トップへ。 |