向日葵3



 サトーは機嫌が悪かった。
 少し暇ができたのでムロマチに滞在しているのだが、最近どうも面白くなかった。
 原因はわかっていた。
 己が仕える大切な姫君がここ最近、昔馴染みの闘神と何だか非常に仲がよさそうなのだ。
 多分きっと、昔話にでも花が咲いているのだろう。それに実力も同じほどだし、対等に話し合える相手でもある。話が弾んで当然だ。
 わかっている。非常によくわかる。自分も、不如帰とたまに色々話したりする。

 だがしかし。

 この言い知れないムカツキはなんだ。
 サトーは大陸を渡りあるいて、色々と経験してきた。裏も表も様々な汚い事も見てきた。それに忍と言うのはそう簡単に心を乱したりはしないようにと教育を受けた。……もっとも、サトーの場合はそれを真っ向から拒否していたが。
 だから、多少の事では動揺なんかしたりしない。
 そういう事もあるのだと、納得させてしまう。
 けれど。
 「………………………………………………。」
 やっぱり物凄く。
 ……腹がたつ。

 そこまで思ってはたと気がつく。
 以前、不如帰との事で、ヒロが物凄く嫉妬した事があった。
 あの時はその深さに正直驚いたが、逆に酷く嬉しい思いも覚えた。
 ああ、自分はこんなにも想われているのだなと。
 度の過ぎる想いは双方を壊しかねないものだが、ヒロのそれはまだまだ可愛いものだ。それに彼女は、その黒く深く、愛しい想いを抑制する術を、つたないながらも無意識のうちに知っている。
 欲しいものを手に入れられず泣きわめき騒ぎ立てる子供ではない。

 このムカツキはそれと同じ。

 嫉妬。
 ……自分が。

 「………………」
 サトーは大きく息をはいた。
 自分の感情がわからないほど未熟ではない。否、己の感情がわからないから未熟だと評するのは偏見ではあるが、とりあえず、サトーとしては今までの経験上から、自分の感情をコントロールする事は出来る。 
 そのムカツキの意味にはなんとなく気がついていたから、先ほど出た溜め息はどちらかといえば『自分が嫉妬している事に対して驚いている』ではなく、『またか』という己に対しての呆れである。
 「……姫様の事、いえねぇよなぁ…」
 よく彼女に子供扱いするなと怒鳴られる。本人はそんなつもりはないのだが、確かにそんな節はある。
 だがしかし、誰かに対してヤキモチをやく事、嫉妬。
 子供みたいな感情と呼べるそれ。
 それを自分はまた、擁いている。

 以前のそれは、昔の恋人と、彼女が仕える君主に対して。昔、戦場であった時だ。
 もうあの拙く、それでも真剣だった想いはおわった事なのだと思っていた。その君主に対しても、自分は敬意の念をもっていた。
 だけれどやっぱり、それでも、どうしようもなく。
 しかも、昔の恋人も、その君主も、表に見えないだけかもしれないが、ともかくは、二人ともいわゆる「大人」である。寡黙で控えめで落ちついていて、飄々として豪快で奔放で。
 二人に比べれば実に自分は「幼い」。
 ……尤も別にそれが厭だとかいう訳ではないが、何とも情けない。

 その想いも、今の自分の主君に対する感情が『妹』から『一人の女性』に変化してきた頃から、徐々になくなってはいるが。けれど、今でもたまに、金と黒の髪の君主が、烏の濡れ羽色のあの彼女に不埒な真似(どんな真似だ)をしようとするのを目撃してしまうと、つい、手が出てしまうが。
……まぁ、それはきっと、以前のような想いからではないと思う。親しい者に対しての保護感だろうか。

 「………………」
 また、ふー、と息を吐く。がりがりと乱暴に頭をかいた。
 どうしようもないだろう。
 間に割りこんで、その感情を剥き出しにして喧嘩をふっかけるのはあまりにもみっともない。
 それに、二人の語らいをやめさせる権利は何処にもない。
 例え、いくら好きであっても、昔馴染みとの会話を中止させるのはそれはただのエゴだ。
 何より。
 彼女を困らせたくないし。悲しませたくない。
 「くそっ」
 サトーは舌打ちまじりに言葉を吐き捨てた。



 柄にもなく不機嫌のまま、サトーが城内を歩いていると、普段とは違った格好で歩いている金茶の髪の少女を見かけた。
 「あ、サトーさん」
 少女もまた、こちらに気がついたようで気さくに声をかけてきた。
 「よぅ、どうしたんだ?その格好」
 サトーが不思議がるのも無理はない。今のアルの格好は、薄い青色のつなぎの作業服。暑いので上着は脱いで腰にまいている。上は清潔そうに洗われた白い半袖のシャツ。強い陽射しよけに麦わら帽子。
何ともアンバランスである。
 「はい、ちょっと作業を……。サトーさんはどうしたんですか?大丈夫ですか?」
 「へ?」
 不意の質問にサトーは少し驚く。
 「何だか、気分がよくないみたいでしたから。冷たい飲み物でもつくってきましょうか?あ、でもこう暑い時は逆に、熱いお茶の方がいいっていいますよね」
 いわれて、ああ、と納得する。……そんなに気分悪そげに見えたのだろうか?確かに不機嫌ではあったが。
 だがしかし、この少女は本当に気がきく子である。気さくで真面目でよく働き、よく笑う。少々天然ボケなところはあるが、またそれも愛嬌である。素直に、可愛いと思える。
 正直、何故この少女が闘神の側にいるのか不思議であった。
 だが、元君主と軍師と言う間柄だけではない、何か、深いものを感じる。
 そしてそれは、二人にとって、とても尊いものであるように思えた。
 「いや、大丈夫さ。それよか作業ってなんだ?そんな格好して、まるで畑仕事でもするみてぇな」
 「えっと……」
 アルが言葉を濁すのに気がついて、サトーは笑う。
 「ああ、いいたくねぇなら言わなくていいぜ?ちょっと気になっただけだからよ」
 からりと笑いながら言う。アルはちょっと顎に指をあてて考えながらサトーをみあげる。
 「ええとですね。これ、ウェイブ様には内緒にしていていただけますか?」
 「は?」
 「驚かせてあげたいんです」
 くすくすと幸せそうに、アルは笑う。
 あの緑玉の瞳をもつ闘神の事を話す彼女は、本当に幸せそうだ。
 「ふぅん?いいけど、いったい何なんだ?」
 「じゃ、ついて来てください」


 「こいつぁ……」
 つれてこられた場所は、城の裏手側。ひっそりとした、あまり人に知られていないような場所。だけれど日のあたりはいいし、そこから見える風景はなかなかに絶景である。眼下に見える城下町に遠くには碧い山々の峰。ここで弁当でも広げて食べてみたいものだ。
 そんな、あまり広くはない場所に耕された花壇があった。
 ちゃんとレンガで囲いをつくってあるその花壇には既に何か植えられてあり、植物の芽が沢山でていた。
 「嬢ちゃんがつくったのか?」
 「はい。庭師さんに道具をかりて。以前も作った事があるんで勝手は知っているんです」
 「なるほどなぁ。んで、何植えてんだ?これ」
 そう問いかけると、アルはにっこり微笑む。
 「向日葵です」
 「向日葵?」
 夏の日に咲く、天に輝く太陽と同じ、金の大輪の花。
 「ええ、好きな花なんです」
 跪いて、その向日葵の芽を愛しげに見る。
 『誰が』好きな花なのか。
 それは何となくわかる。
 「でもちょっと植えるのが遅くなっちゃったから、咲くのはまだもう少しかかるんですよね」
 まだ芽だけのそれ。
 街でちらほらみられるその花は既に、その高い姿を光の下に現している。確かに、うえる時期としては少し遅かったようだ。
 「……まぁ、この調子ならでかく育つだろうさ。向日葵は成長早いしな」
 「はい。元気にそだってくれたら、嬉しいです」
 立ち上がり、サトーに視線を合わせて笑う。つられてサトーも笑った。
 「………………」
 ふと思う。
 この娘が、あの闘神の事を思っているのは火を見るより明らかである。
 だが、ここ最近の、闘神と大魔王の娘の仲睦まじさを見て、どう思っているのだろうか。
 アルは少し大きめの如雨露に水を汲んできて、それを向日葵の芽にやる。
 「……なぁ、嬢ちゃん」
 「はい?」
 水をやりながら返事をする。
 ……これを聞くのは卑怯だろうか。内心で自問しながらも、言葉を続けた。
 「……アンタは、その……アンタんとこの闘神サマと姫さんを見て、どう思う?」
 「ウェイブ様とヒロさんですか?」
 きょとんとして、鸚鵡返しに聞いてきた。
 「どうって……そうですねぇ」
 んー、と少し考えているようだ。だけれどその表情には些かの不の感情が含まれていない。
 「なんだか、気まずかったみたいなのが解消されたみたいで、よかったと思いますよ?お二人とも楽しそうで、嬉しいです」
 笑うと、本当に花が綻んだようだ。
 片方はどうみても楽しそうな表情をしてないのだが、という突っ込みはこの際却下である。無表情ではあるが、楽しくない訳ではないのだ。
 素直に、正直に、偽善ではなく心からそういう彼女にサトーは半ば呆気とする。
 「嬉しいって……いや、そりゃ確かに、仲が悪いのみるよかいいけどよ……」
 仲がよすぎるのはやっぱりいやなのだが、かと言って、仲が悪い姿をみたいというわけではない。
 「…………でも」
 がりがりと頭をかきながら、言いたい言葉を探しあぐねているサトーに、アルは僅かに目を伏せていった。
 「やっぱり、ちょっと、羨ましいです」
 「………………」
 再び、アルは向日葵に水をやる。日の光が反射して、小さな虹が出来た。
 「何て言うんでしょう……何ていうか、……羨ましいんです。あの人の隣に堂々と立てると言う事が」
 人を越えた存在であるあの人。
 その人と、同等にわたりあえる彼の人。

 「同じ場所に立って、同じ風景を見れるという事が。
 私は、あの人の少し後ろから、あの人の後ろ姿を見ながらしか、まだ見る事しかできない。
 人にはそれぞれ、向き不向きがあって、それぞれ役割があるけれど……やっぱり、羨ましいですね……」

 寂しそうに笑う。
 それは嫉妬というより、自分に対する歯がゆさ。
 「ないものねだりっていうんでしょうかね」
 眉をさげて、苦笑した。
 「嬢ちゃん……」
 「あ、でも」
 その、どこか儚げな笑みに、サトーは何と言えばいいのかわからない。だが、何か言う前にアルが、今度は何処か胸をはっていう。
 「そのかわり、私はあの人に紅茶を淹れる事ができます」
 「………………」
 「あの人が、美味しい、って言ってくれる紅茶を淹れることはできるんです」
 食事の後に。仕事の後に。一息つく時に。
 「これだけですけど、これだけはできるんです」

 たった、それだけだけど。
 それだけはできる。

 それは人によっては本当に些細な事だ。
 だけれど、どんな人でも、必ず必要なことで。無意味なことじゃない。
 紅茶じゃなくてもいい。コーヒーでも、お酒でも。ただの水でもいい。
 『美味しい』と思える事。
 繰り返す、無意識の行為の中にある、必要不可欠な、生きていると言う事を思い出させてくれる事。
 ひとときの、ほんの一時だけの安息をもたらしてくれる事。
 それはけして無意味な事じゃない。

 それは一番単純で、一番身近で、一番、嬉しい事。

 「…そうだな」
 「はい。」
 何処か誇らしげに、彼女は笑う。
 サトーは無骨なその大きな手で、ぽんぽんと頭を叩いてやった。
 アルは、子供みたいな笑顔を浮かべた。






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